
空白の一日、トレード…まさかの9勝10敗/追憶 江川卓~巨人編〈1〉
誰の目にも明らかな直球の球威。誰もが気になる「空白の一日」の心境と、入団後の人間関係…江川卓の神話性は巨人に入っても色あせず、一層、際立っていきます。身構えず遠慮せず、懐に飛び込んでいった1人の記者。何十年も関係を保って深め、軽妙なタッチで深層に潜っていきます。作新学院時代に続く「追憶 江川卓~巨人編」を、毎週水、土曜日に更新の全10回で送ります。(敬称略)
プロ野球
▼「追憶 江川卓~巨人編」連載一覧▼
江川卓―。「昭和の怪物」と呼ばれた元巨人のエースである。対戦した打者なら、誰しも「歴代NO・1」と口をそろえる。手元で激しく「浮き上がる」規格外のストレートに、バットが何度も何度も空を切った。プロ入団に際し、非凡さゆえに「空白の一日」がもたらす悲劇に巻き込まれたが、その存在は日本中を強烈にひき付けた。巨人での9年間に投じられた全2万9001球に込められたドラマを追った。
◆江川卓(えがわ・すぐる)1955年(昭30)5月25日、福島県生まれ。作新学院(栃木)時代、完全試合2度、無安打無得点試合を10度達成。甲子園は73年春、夏連続出場。春の大会通算最多奪三振60個を記録し「怪物」と呼ばれた。東京6大学リーグの法大で17完封をマークした。ドラフトは3度の1位指名を受けたが、最終的に79年巨人入団。引退する87年までの9年間で通算135勝72敗3S、防御率3.02。1366奪三振。最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振3回、最高勝率2回。20勝を挙げた81年に「投手5冠」(前記4タイトル+完封数)とMVP獲得。183センチ、90キロ。右投げ右打ち。現在は日本テレビの野球解説者であるとともに、You Tubeチャンネル「江川卓のたかされ」(https://youtu.be/66DUBNxqoDc)を配信中。
同い年の67歳 身構えるのは損の気さくな人
同い年をいいことに、かれこれ30年以上、その姿を追いかけて来た。いっぱしの〝江川ウオッチャー〟気取りでいる。そんな私だから、人から「江川さんって、どんな人?」と、よく聞かれる。
知り合う前は、決して素性を明かさない、生意気な堅物に見えた。
甲子園で、神宮で、ファンを魅了した不同不二の剛球は別にして、例のドラフトによる「激動」をくぐり抜けたくらいだから、取材も一筋縄ではいかないだろうと身構えたものだった。
ところが、話してみると印象は一変した。気さくな、気配りの人。機知に富み、機転も利いた。むろん世間からのバッシングを受け、本来の感情の発露を自制する面もあっただろうが、俗にいう「嫌われた怪物」の顔は、どこにもなかった。
「空白の一日」を突いた巨人入り。容赦ない中傷を浴びた。その頃のことを、10年ほど前の取材で江川は、こう話している。
「こちら側は波風を立てないように静かにしているのが当たり前で、世の中は一斉にたたくのが流れだった」
その言葉を実感する出来事は、皮肉にも、巨人内部でも見受けられた。
1979年(昭54)4月、シーズン開幕直前。巨人入りした江川だが、スタートは2軍だった。球団が、一連の騒動により球界と世間に混乱を招いたことをわび、江川には5月末まで現役登録できない、2カ月間の「自粛」が科されていた。
そんな折、東京・田園調布にあった巨人軍多摩川グラウンドで、監督の長嶋茂雄ら首脳、全選手との「初顔合わせ」があった。
自粛2軍からの出発 まばらな拍手と好奇の目
自己紹介で深々と一礼する江川には、まばらな拍手と好奇の目が向けられた。
「はじめからおかしな空気だったけど、当然かもと思った。恨んでないよ。立場が逆なら、こっちが嫌だと思うかもしれない」
怖がりで寂しがり。江川は少年時代の面影を、少しだけ言葉に込めて言った。
高校時代も江川にマスコミが集中するあまり、同僚が離れ、弁当をたった1人で食べる写真が紙面に掲載された。慣れたはずの感覚でも、けがでもないのに試合で投げられない「1・5軍」の身には、やはりこたえた。
キャッチボールの相手も断られた。所在なげにしていると「一緒にやりましょう!」と声をかけてきた者がいる。見覚えのある顔だった。既に5年目を迎えた、1歳下の西本聖だった。
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1955年(昭30)、和歌山県生まれ。早大卒。
83年日刊スポーツ新聞社入社。巨人担当で江川番を務め、その後横浜大洋(現DeNA)、遊軍を経て再び巨人担当、野球デスクと15年以上プロ野球を取材。20年に退社し、現在はフリー。
自慢は87年王巨人の初V、94年長嶋巨人の「10・8最終決戦」を番記者として体験したこと。江川卓著「たかが江川 されど江川」(新潮社刊)で共著の1人。
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