7戦連続弾かかるバースへの敬遠指示を拒否! 結果は…/追憶 江川卓~巨人編〈4〉

誰の目にも明らかな直球の球威。誰もが気になる「空白の一日」の心境。入団後の人間関係…「昭和の怪物」江川卓の神話性は巨人に入っても色あせず、2つの時代をまたいで一層、際立っていきます。身構えず遠慮せず、懐に飛び込んでいった1人の記者。何十年も関係を保って深め、軽妙なタッチで深層に潜っていきます。作新学院時代に続く「追憶 江川卓~巨人編」を、毎週水、土曜日に更新の全10回で送ります。(敬称略)

プロ野球

宮本武蔵の「カンケンニガン」

「『カンケンニガン』って、知っている?」

江川から問われ、思わず「はぁ????」。わが無知蒙昧(もうまい)を恥じ調べると、こうあった。

「観見二眼」。江戸時代の剣豪、宮本武蔵の著した「五輪書」に登場する言葉だった。

「見」はクローズアップ、「観」はロングショットの目ということらしい。目先のことにとらわれるのではなく、物事を俯瞰(ふかん)して状況全体をみる-。兵法において最も大切な心得だとか。

◆観見二眼(かんけんにがん)江戸時代の剣豪、宮本武蔵が著した兵法書「五輪書(ごりんしょ)」に記述がある。「観・見」2つの目があり、「観の目」を強く、「見の目」を弱く、遠い所を近いように見、近い所を遠いように見ることを指す。目先のことにとらわれず、物事を俯瞰(ふかん)して全体をみる、という意味。「敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ないことが兵法では大事」と説く。武蔵は二刀流の元祖ともいわれる。巌流島での佐々木小次郎との決闘でも有名。

巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の像

巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の像

いったい、野球と何の関係が? と思ってはいけない。江川は、自分のマウンドとの深いかかわりを話しだした。

1955年(昭30)、和歌山県生まれ。早大卒。
83年日刊スポーツ新聞社入社。巨人担当で江川番を務め、その後横浜大洋(現DeNA)、遊軍を経て再び巨人担当、野球デスクと15年以上プロ野球を取材。20年に退社し、現在はフリー。
自慢は87年王巨人の初V、94年長嶋巨人の「10・8最終決戦」を番記者として体験したこと。江川卓著「たかが江川 されど江川」(新潮社刊)で共著の1人。