【箱根駅伝story〈18〉駒澤大】箱根を走れなかった4年生2人の物語

駒澤大(駒大)は箱根駅伝を2位(10時間48分00秒)で終えました。

史上初となる2季連続3冠へ突き進んだ世代。4年生には11人の選手がいましたが、その中で篠川史隆と藤山龍誠は4年間で1度も3大駅伝を走ることができませんでした。

箱根駅伝まで10日となった昨年12月23日。2人の姿は世田谷記録会にありました。ユニホームを身に着け、下級生たちと5000メートルに臨んでいました。

なぜ最後まで走り続けたのか-。そこに駒大の強さの下地がありました。

陸上

駅伝を走れなかった4年間

2023年12月23日。東京・世田谷区立大蔵運動公園陸上競技場。

クリスマスムードの小田急線・成城学園前駅からバスで15分のところで世田谷記録会が開かれていた。

気温10度を下回る寒空。午後5時を回る頃には真っ暗になっていた。黄色いライトだけが、青色のタータンのトラックを照らす。

男子5000メートル12組には、駒大から13人が出場していた。全員が箱根駅伝のエントリーを外れたメンバーだった。

世田谷陸上競技会 男子5000メートル12組で力走する駒大・篠川(14)と藤山(5)(2023年12月23日撮影)

世田谷陸上競技会 男子5000メートル12組で力走する駒大・篠川(14)と藤山(5)(2023年12月23日撮影)

下級生が大半を占める中、2人の4年生が懸命に腕を振っていた。

ゼッケンナンバー14番の篠川史隆と5番の藤山龍誠。号砲が鳴ると、集団の先頭に立ち、レースを引っ張った。

そこに幾重もの声が響いていた。

「いける!いける!」「もっとペース上げろ!」

紫色のウエアをまとったマネジャー。寮から自転車で駆けつけた私服姿のチームメート。駒大の部員がトラックを囲うように陣取り、誰もが前かがみになりながら声を張り上げていた。

エールを受けながら、篠川と藤山が必死にレースに食らいつく。

箱根駅伝まで10日。同学年から7人がメンバー入りしたが、2人はともにエントリー入りを逃した。4年間で3大駅伝を走ることはかなわなかった。

チームの輪に出走者として加わることはできない。

その事実を前にしながらも、2人はただただ前へ進んでいた。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。