1月11日の山梨学院と青森山田による全国高校サッカー選手権決勝は人を感動させる素晴らしい試合でした。選手はピッチで躍動し、球際のひとつひとつのプレーに気迫と魂を感じました。戦術的にも日々練習しているのだろうと思えるパターンがいくつも見られ、僕も引き込まれるものがありました。両チームとも本当に素晴らしい試合をありがとうございました。

さまざまな記事などを目にしていると、今回は高校サッカー現場での指導者のあり方も問われた大会だったのではないかと思います。まず初めに僕の見解をお伝えすると、プロのリーグで指導をしていようが、アマチュアのリーグで指導していようが、基本的に大事なことは変わりません。それは「人間性」です。

リーグはプロでも人間性として疑問を抱く指導者はたくさんいます。それは選手も同じです。テレビ映りはいいが、全く人間としては成熟していない選手など山ほどいます。今回は指導者にフォーカスしますので、これ以上は触れませんが「人間性」はこれからの時代に確実に必要なスキルになります。選手のパフォーマンスを表す五角形チャートの項目のひとつに組み込まれてもいいくらいです。

そもそも「人間性」とは何か。そこを定義付けして話を進めていきます。調べてみると、一般的には「人間として生まれつき備えている性質。体形や髪形などの外見とは違い、思いやりの心・気遣いの心、愛情など人間の内面のこと」とあります。僕が考える人間性は、そこにプラスして「感情や他人に左右されず、自分の世界観を表現できる信念を持っている」ことだと思っています。

要するに、Jリーグであろうが、高校サッカーであろうが、大事なのは所属先ではなく、その人自身ということです。高校サッカーであろうとも勝ちを目指すことは大事です。ただし、どんな手を使ってでも勝つというのは育成の観点からは逸脱しています。そこには人間性を無視したスキルや戦術だけの育成しかないからです。これが俗に言う「サッカーバカ」を生み出す構図となっています。

今の育成年代の問題は、指導者のほとんどが「個人の感覚」だけで指導をしているということです。結局、サッカー選手に向いているかどうかはやってみないとわからない状態がずっと続いています。だから指導者の個人的感覚がメインとなり、サッカー界で生き残っている人は「技術が高くて要領がいい人」となってしまいます。その人自身がサッカーに向いているかどうかを判断する場所がないのです。

現実としてあるのは、指導者が感じている肌感覚での「お前はプロにはなれないよ」という技術ベースの話です。それはあくまでもその指導者の経験からくるもので、理屈では説明できないものです。指導者には理屈で説明できないものがあってはいけないと僕は思っています。それは言葉ひとつで他人の人生を左右する可能性が大きいからです。

僕は以前、神奈川県の麻布大学付属高等学校サッカー部にスポーツディレクターとして関わっていたことがあります。部員の指導者として13、14年の全国高校総合体育大会(インターハイ)出場も経験しました。その時は自分も未熟で、感覚に頼ることが多かったです。

ただ、そんな中でも僕が大事にしていたのは、ミーティングの時に何を話すか、どんな言葉を残すかでした。意識していたのは、学校生活を終えても生徒の中に残る言葉を伝えること。そこで主力メンバー、ベンチメンバー、サポートメンバーそれぞれに、今、自分がいる場所の定義と心得を書いた紙を配りました。全国大会に出場するためには、選手1人1人が共通言語を使う必要があったからです。

それは部活の規則のようなルールでは意味がありません。主力メンバーとはどういう存在で、ベンチメンバーとはどういう心構えが必要で、サポートメンバーはどんな意識が必要なのか。それを言語化して選手全員が理解できるようにしました。自分は技術や戦術はそれなりに教えられていたと思いますが、やはり感覚での指導だったことは否めません。でも、選手のメンタルだけは順序立てて構築していけたと思っています。

その後、Jリーガーを目指し、自分が自分の指導者になりました。その時にわかったのは、感覚で伝えてもそれが正しいかどうかはやってみないとわからないということでした。しかし、それなら指導者はいらないということになります。僕は必死で考え、理屈でプロになるために必要なメンタルや考え方、そしてその手順を模索し続けました。その結果、40歳でJリーガーになれたのは紛れもない事実です。

サッカー以外にもいろいろなジャンルについて調べ、例えばピアニストにはピアニストになるためのメソッドがあると知りました。どんな人間性で、どこまでに何をできたら世界を代表するピアニストになれるのか。そうしたメソッドはバイオリンなどにもあるといいます。何百年と受け継がれているその世界には、ちゃんとしたメソッドがあるのです。

スポーツには、特にサッカーにはその手順がありません。あるのは「強豪校にいけ」という謎のうたい文句のみです。プロフェッショナルとは何かを教えてもらうことがないから、Jリーガーになっても未熟なままなのです。人としての素質を育てられない現状が、選手のセカンドキャリア問題も生み出しています。戦術やスキルだけでなく、長く仕事を続けるための準備や、そもそもメンタルとは何かを教わる機会が無いのです。

教える側も感覚頼みとなり、高校としては強いけど、プロとしてはどうなのか? そこそこを作ることはできても、本物のプロフェッショナルを作ることができていないのです。例えば、どの高校にも基礎練習はありますが、それは結局メニューでしかなく、そこにメンタルがついてこない。全てが感覚と精神論になっていて、どうステップを踏めばプロになれるのかというメソッドがないのが現状です。

指導者の多くが「個性を出せ」「自由に発想しろ」などと言いますが、ベースがなければ個性は出せません。自由を口にする人は、どこか無責任です。ピカソも絵を描く技術がものすごく素晴らしく、ベースが備わった上での独創性です。感覚で指導をする時代には限界が来ています。

理屈でしっかりとステップを踏ませ、プロになるための手順を精神論や感覚ではない部分で伝える。そうしたことがより浸透していたとしたら、今年の高校サッカー決勝はもっとハイレベルで、より感動を与えるものが生み出せていたかもしれません。僕ら大人は彼らの試合を見て、上から目線で「すごかったね」と言っていますが、育成がちゃんと備わってくれば、大人の方がそこから学ぶことは多いのではないでしょうか。

育成には「人間として生きること」を理屈で説明できることが必要です。それは子育ても一緒です。親の感覚だけで育てるのではなく、なぜ生きるのか、生きるとは何かを理屈で伝えることが大切な手順なのです。

僕は今、自分の挑戦の行動ひとつひとつを理屈で説明できます。そうでなければ、Jリーガーから格闘家になろうとは思いません。サッカー界における「育成」とは、日本がワールドカップ(W杯)を優勝するため、そしてサッカーが社会から必要とされるために動ける人材を生み出すために行われるべきものだと僕は思います。「どうなりたいか」と「どうありたいか」を感覚や精神論ではない部分で伝えられる人が必要な時代なのです。

僕は生きる教科書として、常にリアルな体験談を伝え続けていきたいと思います。まだまだ何も結果を出していませんが、結果が出ていない時のこの生の声も必要だと思っています。高校生の戦う姿を見て感動するだけでなく、僕ら大人も子どもたちを感動させるアクションをしていきましょう!(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結ぶも開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退したが17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月にJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年シーズンをもって現役を引退した。175センチ、74キロ。

現役最終戦となった藤枝戦後のセレモニーであいさつする安彦
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