今年最初に見た映画は「えんとつ町のプペル」でした。昨年見た最後の映画は「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」でした。僕はこの2つの映画に共通するものを感じました。それは人の心を動かすのは「言葉」なんだということです。

映画「えんとつ町のプペル」は絶対に見たいと思っていた映画でした。知人とその子ども2人と共に4人で見に行きましたが、子どもたちは「えんとつ町のプペル」を知りません。「鬼滅の刃」が見たいという12歳の男の子と5歳の女の子を何とかしてプペルが上映されるスクリーンまで連れていきました。映画が始まり数分後に横をチラッと見ると、もう2人の目はまん丸に輝いていて、気がつけば最後まで食い入るように見続けていました。もし「鬼滅の刃」が絵本で、プペルのようにいきなり映画化されたら、同じようにハマっていたのだろうか。そんなことを思わせてしまうくらい、すてきな映画でした。

さて、本題に入ります。この「えんとつ町のプペル」から僕は挑戦者の持ち物を確認することができました。それは、情熱と人を信じ抜く力です。僕が40歳でJリーガーになると宣言した時、気がつけば独りぼっちになりました。周りからは「また変なことを言いだした」「炎上狙いだ」「Jリーガーをなめている」。たくさんの批判を受けました。今回Jリーガーから格闘家に転身すると言った時も同じです。「格闘家をなめてるのか」「売名行為だ」といった声が聞こえてきます。ある友人からは「何で格闘家なんだよ。お前はサッカー選手だろ」と連絡が届きました。

Jリーガーになる時はJリーガーからもたくさん批判されました。「俺たちは長い年月かけて必死に頑張ってきたんだよ。それをついこの間までおっさんだったやつが急になれるわけないんだよ」。そう言われ続けました。確かに、受けた言葉に理解できるところはあります。しかし、当時の僕はそうした言葉にいらつき、発狂しそうになりました。「やり方はひとつじゃない。まずはやってみないとわからない」と。そう言い返したい思いを何度も何度ものみ込み続けていました。

その中で僕が決めたのは、まずは自分のJリーガーになりたいという情熱が本物かどうかを確かめていくこと。朝は家の周りを走り、午後は学校のグラウンドを借りて練習をし、夜は公園の街灯を使って練習をしました。周りから何を言われようが、その情熱が本気であれば諦めることなど忘れてしまうのです。

すると、何人かの友人が僕の元に集まり始め、練習を手伝ってくれました。わざわざ朝早く起きて一緒に走ってくれたり、高校生が練習を終えた後のグラウンドでおっさん2人がフィジカルトレーニングをやっている光景は滑稽です。夜は公園の街灯だけを頼りに声を出して、鼓舞してもらいながら練習をしました。そして、その動画をほぼ毎日SNSにあげ続けました。 そうした活動を徐々に周囲も認めてくれるようになり、独りぼっちだった僕の周りには徐々に人が集まり始めました。気がつけば5人、10人と増えていったのです。暗い暗いトンネルに誰かがろうそくをともしてくれた感覚でした。

周囲のサポートが増えると同時に、アンチも多く生まれました。「お前が必死に頑張っていると俺が諦めた夢がバカらしく思えるだろ」。そんな声も聞こえてきました。夢を追う人たちを非難する“ドリームキラー”たちの大合唱です。気がつけば僕のSNSは批判だらけになりました。

そんな中でも気持ちが折れなかったのは、自分の身近にいる人に全力で応援してもらっていたからです。半径3メートル以内の人に応援されない人は理想や妄想だけで行動が伴っていない。僕はそう思っていました。近くで一緒に戦ってくれている仲間に僕の本気が伝わっていたので、非難の声すらも僕の背中を後押しする応援歌に聞こえたのです。

「人生で一番輝いているのは旅の途中である」。

挑戦者本人が輝いているのは何かを目指している最中であり、何かを達成した時に輝くのは、その歩んできた道なのです。その道が照らされることは、次なる挑戦者に「この道を進んでもいいんだ」という道標を与えることにもなります。

困難な挑戦の最中には「挫折」が見える時もあります。何度も何度も挑戦しているが、目標に手が届きそうで届かない。そうなると多くの人が自分に「ここまでやったんだからもういいよ」とささやきかけます。そこで耳を傾けてしまってはいけないのです。

挑戦者は、その挑戦自体が誰かのためになるわけではなく、その目指した結果が誰かのためになると思わなければ意味がありません。自分の目指した道を「信じ抜く」。そう言い聞かせ、どうすれば目標に到達できるのかを毎日考えていくのです。

2018年3月31日。僕は40歳で初めてJリーガーになりました。その日を信じて毎日イメージを膨らませ、そのためにあらゆる手段を考え、たくさんトライしました。どんな批判にも負けない情熱を持ち、いや、どんな批判にも負けない思いがあればそれが情熱です。その情熱が走ったわだちに仲間がついてきます。

そこにはアンチもいますが、一緒に引き連れていくことが大事だと僕は考えています。

そもそも僕のファンの定義は「1日5分以上、僕に時間をかけてくれている人」なので、アンチもある意味ファンと呼べると考えています。そして最後の仕上げは、自分のやってきたことと、見たい世界を信じ抜くことです。「どこかで誰かの勇気になるまで」。そう思って戦い続けた結果、格闘家という、また新たな挑戦を見つけることができました。

道は違えど、志は同じです。進むべき道を信じて、無謀ではなく希望が持てるよう、仲間とともにこれからも突き進んでいきたいと思います。1人で悩んでいる人は一緒にチャレンジしましょう!(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結ぶも開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退した。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設した。175センチ、74キロ。

Jリーガーから格闘家へ転身し、成功祈願を行う安彦(左)
Jリーガーから格闘家へ転身し、成功祈願を行う安彦(左)