いい年こいて、涙しそうになった。11月4日、セレッソ大阪がルヴァン杯を制し、クラブ悲願の初タイトルを獲得した。うるっときたのは、その戦いぶりだった。

 開始47秒、ラッキーな展開でFW杉本健勇が先制ゴールを決めた。その後は防戦一方。川崎フロンターレに7割近くボールを保持され、何度も決定的な場面があった。ただ、失点しなかった。全員が体を投げだし、ボールを止めた。けずられ、ピッチに倒れても体を張った。ある意味セレッソらしくない泥くさい勝利。試合後、杉本に守備に割く時間が多かったことを聞いた時「勝ったチームが強いんですよ!」と声を張り上げたのが印象的だった。

 杉本に加え柿谷、清武、山口…。「個」は際だっていても、まとまりには「?」がついたチームだった。それがボロボロになっても守り抜いて、とにかく勝ちにこだわった。そんな心境で戦えたのも「控え組」の存在が大きい。尹晶煥監督はリーグ戦を戦う主力組、カップ戦を戦う控え組を明確に分け、戦いを進めてきた。ルヴァン杯は1次リーグから決勝進出まで12戦負けなし。それでも決勝のピッチに尹監督は「タイトルをとるために」主力組を送りだした。

 それまで大貢献していても、決勝はベンチ外。その1人が36歳のベテランDF茂庭照幸だった。「プロとしてはもちろん悔しい」と言うが、メンバーが遠征に向かう際にはクラブハウスの前に立ち、1人1人の手を握って送り出した。「自分のやれることを最後までやろうと思っただけ」。ベテランの手のぬくもりは大きな勇気だった。

 試合前の練習に入る時、サポーター席の前でベンチ外の選手、スタッフ全員が大きな円陣を作って声をだした。あらゆる伏線が、その後の勇気ある戦いにつながっている。決勝を振り返った茂庭は「感動しましたよ。人の心を動かすのは難しい。リーグ戦のメンバーは、将来の日本を背負う選手も多い。その彼らが地べたにはいつくばって戦っている姿は、一緒に戦っている思いになれた」。

 個人競技にはない、チームスポーツの魅力とは何か。あらためて教えてもくれた、C大阪の初戴冠だった。


 ◆実藤健一(さねふじ・けんいち) 1968年(昭43)3月6日、長崎市生まれ。若貴ブームの相撲、ボクシングでは辰吉、徳山、亀田3兄弟らを担当し、星野阪神でも03年優勝を担当。その後いろいろをへて今春からスポーツ記者復帰。いきなりC大阪初優勝に立ち会える幸運。