久米一正氏は清水の立て直しについて語る(2018年1月5日撮影)
久米一正氏は清水の立て直しについて語る(2018年1月5日撮影)

以前、柏レイソルを担当した時、当時のペリマン監督から「出入り禁止」を言われたことがある。シーズン中に戦術練習よりパス交換など基礎練習を重視した監督方針に対し、否定的な選手の意見を原稿にしたため。ペリマンは「まったくのウソだ。私の練習に不満を持っている選手はいない」と、自分に否定的な報道が気に入らなかったらしい。

選手が不利益を受ける可能性があったため、実名入り報道をしなかった。そのため「誰がしゃべったんだ?」。激高したペリマンは「犯人捜し」を命じ、クラブが主体となって、私に話した選手を探した。

当時、柏の強化責任者だった久米さんに呼ばれ「ノーちゃん(久米さんは私のことをノーちゃんと呼ぶ)ペリマンが怒りすぎてるから一応聞くけど、誰から聞いたの?」。「言えるわけないでしょう」。「だね。今後、聞かれても誰にも言わない方がいいよ。ペリマンがあまりにも怒っているからしばらくは出入り禁止にするけど、俺の気持ちは違うからね」。

1カ月以上がたち、出入り禁止が解け、再び柏に行った。親しくしていた、ある選手と食事に出掛けた。鉄板に肉を焼きながら「その後1週間くらい、ペリマンはパス交換しかしなかったよ。困った監督だね。個人的に気になるけど、最初にしゃべったのは誰なの?」と聞かれた。「言うなよ。○○だよ」。私はその選手を信頼していて、ついしゃべってしまった。その後、○○選手が不利益を受けた、との話は聞かない。

5年以上がたち、久米さんと食事する機会があった。「ノーちゃん、5年前にオレが言ったことを守らなかったね。『選手の名前を絶対に言うな』と言ったろう? ○○がしゃべったらしいじゃないか。オレがうまくもみ消したけれど、場合によってはその選手が大きな不利益を受けることがあるからな。人間関係は信頼関係が一番大事なんだよ。ノーちゃんはいい記者だと思ったけど、たいしたことないね」。

久米さんと私は、お互いの仕事は尊重するが、信頼し合う関係ではない。敵か味方かと区別するならば、敵の方に近いとお互い思っている微妙な関係だ。

久米一正。日本のサッカー界では誰もが知っている名前で、影響を受けた人は多い。私もその1人。ご冥福をお祈りします。【盧載鎭】

◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。88年に来日し、96年入社。20年以上サッカー担当。久米さんはJクラブで最も偉大な強化責任者2人中1人と思っている。残る1人は鹿島の鈴木満さん。

アイスタのゴール裏で掲げられた久米一正GMを追悼する横断幕
アイスタのゴール裏で掲げられた久米一正GMを追悼する横断幕