連載「俺とオーストラリア」の第4回はFW大久保嘉人(35=東京)。オーストラリアは06年にオセアニア連盟からアジア連盟に転籍。日本がW杯アジア予選で宿敵と初対決したのが、09年2月11日だった。スーパーサブ起用された大久保は、当時ドイツ1部ウォルフスブルクに移籍して1カ月。W杯に懸ける強い思いがあった。

 0-0の後半42分、MF長谷部のシュートが至近距離にいた大久保の右膝に当たり、枠をそれる。大久保も長谷部も、岡田監督も一斉に頭を抱えた。「ああ、この試合か」。8年ぶりに映像を見返した大久保は、当時26歳。後半12分から途中出場した姿を懐かしそうに見つめていた。同23分に放った左足シュート1本を含め、2度の決定機を演出も得点はなかった一戦だ。

 ドイツ移籍直後で燃えていた。05年からのマジョルカ(スペイン)時代に06年のW杯ドイツ大会の代表入りを逃し「どうしてもW杯に出たい思いがあったよね」。2度目の海外挑戦、失敗はできない。ウォルフスブルクで鬼軍曹マガト監督の下、朝6時からの3部練習や試合日すら課される筋トレを重ね、オーストラリア戦までの1カ月間で体重は3キロ増。デビューのケルン戦では途中出場で2度の絶好機を呼び、喜んだマガト監督が試合後に抱きついてきたほど好調だった。

 それでも、オーストラリア戦で大久保はスーパーサブだった。岡田監督は「勘を信じた」と説明。ケルン戦の映像を見て「嘉人で後半勝負のイメージが湧いた」とも当時は伝えられた。だが実際は、岡田監督の脳裏に忘れられない光景があったという。この半年前の親善試合ウルグアイ戦。試合2日前に帰国した長谷部を強行先発させたところ、本調子には程遠く1-3で完敗していた。その記憶が消えない中、大久保も2日前に戻ってきた。しかも「欧州組」になってから初めての長距離移動を伴って。

 敵将ピム監督も「オオクボの先発外しだけはビックリした」とわざわざ口にした起用。8年の時をへて、岡田監督の真意を伝え聞いた大久保は「俺、長距離移動とか全く気にならないけど」と笑ったが、当時は無用の心配とばかりに躍動。3ボランチで引き分け狙いに来た相手から得点こそ奪えなかったものの「今の代表より強いんじゃない?」と冗談めかす出来だった。

 これが宿敵のアジア予選“引っ越し”後、最初の対決。支配率62%、シュート数11本対3本と圧倒した試合で貢献し、大久保の信頼はより強固になった。第2次岡田ジャパンで出場した公式戦18試合のうち、大久保の途中出場は後にも先にもこの1試合だけだった。

 06年ドイツ大会で1-3と屈辱の逆転負けを喫した相手と大陸予選から戦うことになり、選手の意識が明確に変わったことを大久保は思い出す。「お互い、負けたくない思いは強かったよね。彼らは海外組ばかり(09年2月は23人中22人)で、俺ら選手は『オーストラリアに勝てば世界に、W杯に行ける』って思っていた。向こうも『日本に勝てば』と思ってくれていたはず」。新ライバル伝説の始まりだった。【木下淳】

 ◆大久保嘉人(おおくぼ・よしと)1982年(昭57)6月9日、福岡県苅田(かんだ)町生まれ。長崎・国見高卒。C大阪-マジョルカ-C大阪-神戸-ウォルフスブルク-神戸-川崎Fを経て今季から東京。J1最多の178得点。日本代表では10年、14年W杯出場、国際Aマッチ60試合6得点。170センチ、73キロ。