11月20日の開幕まで1カ月を切ったワールドカップ(W杯)カタール大会に向け、日本サッカー協会の副会長でもある、Jリーグの野々村芳和チェアマン(50)に聞いた。元Jリーガーで、札幌社長を務め、現在はJリーグを率いる立場。「日本中の空気をサッカーにする」ような、約30年後の日本のW杯制覇につながる試合を期待。現役時代から知る日本代表の森保一監督(54)についても語った。【取材・構成=磯綾乃】
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出会いは、約30年前のピッチの上だった。市原(現千葉)の野々村チェアマンと、広島でプレーしていた4歳上の森保監督。同じMF。しかし、野々村チェアマンが感じ取った自身との違いは、とにかくチームのために守備に徹する姿。当時はとても珍しく映った。
野々村チェアマン(C) (ピッチ上の森保監督が)目立つ印象はなかったですかね。当時はいかに攻撃で目立つか、クリエーティブなことができるかがサッカー選手だ、みたいな感じでした。そういう愚直なことができる選手が必要だと、だんだん自分も分かっていくんですが…。
現役を引退し、解説者や札幌の社長を務めるようになったころ、森保監督は広島を率いてリーグで3度の優勝を飾った。
野々村C クラブの社長経験者としては、Jリーグで10番目くらいの強化費(の広島)で、4年間で3回タイトルをとるってすごいこと。だから、いい素材があれば、勝たせることができる人なんだと思っていました。ポイチさん(森保監督)、すごいですよね。相当なプレッシャーがあると思うけど、弱いところを見せないし、ずっと自然体。とにかく頑張ってほしい、ただそれだけです。
森保監督のもと、日本代表史上初のベスト8を目指すカタール大会。その目標を成し遂げるには「力」はもちろん「流れ」も欠かせないという。
野々村C (日本代表に)地力がついていることがまず1つ。あとは、いい空気につつまれるか、運を手にできるか、なんじゃないかなと僕は思います。日本より明らかに実力があったとしても、良い流れに恵まれなかったから勝てないということは、サッカーにはよくあること。今の時代はメディアやSNSを含め、日本代表をとりまく空気感も、いい方向に運んでくれる大事な要素かな、と思います。
まだ見ぬ景色を目指す姿が、日本のサッカー界にどんな影響をもたらすのか。約30年も先の未来を見据えている。日本協会は「JFAの約束2050」として、約30年後、50年のW杯日本開催とその大会で優勝することを掲げている。
野々村C (W杯から)すぐに何かがJリーグに反映されることを、強く期待しているわけではないです。日本中の空気をサッカーにしてくれたなら、おそらく小さな子どもたちは興味を持ちます。30年後の日本代表になる子たち。ちょうど2050年にW杯で優勝したいと、日本サッカー協会が掲げていますし、そんなことを期待します。
初めてW杯に触れたのは、82年スペイン大会。小学生だったという。
野々村C 当時はテレビで日本のサッカーがたくさんやっていたわけではないから、ものさしがなかった。何がすごいか分からないけど、(アルゼンチン代表の)マラドーナってすごいんだなって。
93年にJリーグが開幕。現在の日本代表メンバーの大半は、すでに幼少期から身近にプロのサッカーがあった。この冬のW杯で、活躍する姿を見せることができるだろうか-。
野々村C 結果もそうですが、何かを訴えかけるゲームをしてもらいたいです。普通に考えれば、すごく難しい相手に対してどんな戦い方を挑むのか。(1次リーグは)ドイツ、コスタリカに引き分けて、最後にスペインに勝つ。そうしたらドラマチックですよね。すごいプレー、すごいシュート、分かりやすさも重要です。多くの人に伝わるきっかけになるゲームをしてほしいです。
その姿は、未来の代表戦士の礎にもなるはずだ。
◆野々村芳和(ののむら・よしかづ)1972年(昭47)5月8日、静岡県清水市(現静岡市清水区)生まれ。清水東高、慶大法学部から95年に市原(現千葉)入り。00年に札幌に移籍し01年に現役引退。J1通算118試合6得点、J2通算36試合2得点。解説者やサッカースクール社長などを経て、13年に札幌社長就任。15年にJリーグ理事に。22年3月、第6代Jリーグチェアマンに就任。日本協会副会長も任されている。愛称「ノノさん」。