東日本大震災が起きた11年に、プロ野球楽天がある同じ仙台のプロチーム、J1ベガルタ仙台で監督を務めていた手倉森誠氏(現サッカー日本代表コーチ)が6日、星野仙一球団副会長の死を悼んだ。

 2チームはともに、被災地の「希望の光」になろうと、1試合、1試合、魂を込めてリーグ戦を戦った。手倉森氏は11年のペナントレース最終戦を「同じ被災地のプロ監督として応援し、勉強したかった」と当時のKスタ宮城で観戦した。楽天は5位でシーズンを終え、試合後のスピーチで星野監督が言った言葉が印象に残っている。

 「東北を熱くすると言ってやって来ましたが…ぬるかったね。来年は本当に選手一丸となりまして、熱く、熱くなるようなシーズンにします」

 手倉森氏は「被災地の力になれなくて申し訳なかったという思いが込められていた。最終戦で選手をねぎらうよりも、発破を掛けた。それで2年後に優勝した。すごいと思った」と振り返った。J1仙台は11年シーズンが4位、翌12年は2位と活躍し、被災地を元気づけた。しかし、優勝できなかったことが心残りだった。そんな中、楽天は13年、日本一となった。

 被災地のプロ監督を務める苦労について「絶対に弱音ははけない。被災者に弱気やひるみが伝わってしまうから。勝ち負け以外のところの態度が重要だった。星野さんも毅然(きぜん)とした態度だった。(震災という)苦難が来ても星野さんは、星野さんでいられた」と、振り返った。

 突然の訃報を悔やんだが、「星野さんの魂は被災地にずっと残り続ける。そして被災者を励まし続けると思う」と悼んだ。