前橋育英(群馬)が流通経大柏(千葉)を1-0で破り、初優勝を果たした。後半ロスタイム、ゴール前のこぼれ球をFW榎本樹(2年)が蹴り込んで、劇的な優勝決定ゴール。82年に就任した山田耕介監督(58)は、部員が20人にも満たない弱小チームを4大会連続21度目出場の名門へと育て、36年目での悲願に涙した。群馬県勢としても初制覇となった。

 延長突入目前だった。ロングスローからつなぎ、FW飯島のシュートのこぼれ球をFW榎本が右足で蹴り込むと、山田監督は両拳でガッツポーズした。「延長も覚悟していた。この1年間の泥臭さが最後の1点につながった。感無量です」。優勝インタビューでは感極まって男泣きした。

 何度もチャンスをつくったが、ゴールが遠かった。高い位置まで上がる相手サイドバックの裏のスペースを突く攻撃がはまり、前半ロスタイムには飯島のシュートがポスト、後半19分にはMF五十嵐のシュートがクロスバーを直撃した。じりじりと攻め込み、最後の最後で1点をもぎとった。

 長い道のりだった。82年4月。山田新監督が初めてグラウンドに足を運ぶと、リーゼント頭の部員20人弱が待っていた。「お前、誰や」「山田と申します」。それが始まりだった。当時は県大会初戦敗退の「常連」。改革に着手した。「走ろうと言っても走らない。一緒に走って、俺に抜かれたら罰走だと言うと走る。そしたら『サッカーじゃ負けるから柔道、相撲で勝負しましょう』と。当時は自分もパワーありますから勝っちゃうんですけどね」。

 選手権には86年度に初出場し、93年度にようやく初勝利を挙げた。00年にはJFA公認S級ライセンスも取得し、高円宮杯U-18プリンスリーグ開設にも携わるなど高校サッカーの強化にも奔走した。チームを選手権21度の出場に導き、今では部員160人を抱える名門へと育て上げた。

 3大会前の決勝は延長で、前回は0-5の大敗で涙をのんだ。なかなか頂点へは手が届かず「勝負弱いと言われて辞めようと思った」と漏らしたこともある。それだけに、勝利の瞬間は「ホッとした。また負けたら何を言われるかと」と本音を漏らした。昨春から校長に就任し「365日休みがない」という多忙な日々。会議などで練習に出られない日は練習メニューを主将のMF田部井涼らに託した。DF渡辺は「ギリギリまで練習を見てくれて、自分たちのことを思ってくれている」と感謝した。

 35年をかけて刻んだ優勝の2文字。山田監督は「来年も引き続きやっていけるように」と早くも連覇をにらんだ。【松尾幸之介】