夢のような時間をありがとう!! 2016年限りで現役引退し、清水エスパルスの普及部コーチを務める元日本代表DF市川大祐氏(37)の引退試合が8日、アイスタで行われた。元清水の選手らで構成した「S-PULSE ALL STARS」と元日本代表メンバーの「JAPAN ALL STARS」が対戦。両チームで出場した市川氏は、全5得点に絡んで自身の花道を飾った。

 市川氏は、プレーを楽しんでいた。前半S-PULSE ALL STARSチームで出場。オレンジの「25番」をつけ、代名詞の正確無比なクロスで会場を沸かせた。同6分には、スルーパスで沢登正朗氏(47)の先制点を演出。38分には、左クロスに右足を合わせて、追加点を奪った。後半は日本代表チームで出場して3得点。冷たい雨も気にせず、右サイドを何度も駆け上がった。

 「ずっとこのまま続いてほしかった。本当に最高の時間でした」

 市川氏は、17歳だった清水ユース在籍時にトップデビュー。同年に、史上最年少で日本代表戦に出場した。この日は当時の監督やメンバーが集結し、市川氏との思い出を懐かしみながらプレー。サポーターも1万1646人が来場して声援を送り続けた。試合後は「戦友」の手で7度宙に舞い、晴れやかな表情で言った。

 「やっぱり、みんなうまいし、サッカー楽しいなと思いました」

 現役生活19年間で計6クラブを渡り歩いた。ひざを何度も手術しながら、J1から地域リーグまで、全カテゴリーで出場。そのことが「財産になっている」と話す。この日も内転筋肉離れのケガを押して90分間フル出場した。

 「ケガが多かったですが、多くの人に支えられた。今日は感謝ということが大きなテーマでした」

 現役を退いて2年。昨年からは清水の普及部コーチとして子どもを指導している。下部組織出身者らしく「エスパルスは目標と夢を与えてくれた存在。これからは自分の経験を伝えて、クラブの力になっていきたいです」と言った。

 愛するクラブのために尽力。第2のサッカー人生も輝いている。【神谷亮磨】

 ◆引退試合 Jリーグ規約第72条で、選手が引退するにあたり当該選手の功績をたたえることを目的として開催される。原則として、選手は総収入から必要経費を引いた純益を受け取ることができる。元清水では、沢登正朗氏(47=現常葉大浜松監督)の試合が、07年1月21日にアイスタで開催(観衆1万7383人)。元磐田では、名波浩氏(45=現磐田監督)の試合が、10年1月10日にエコパスタジアムで開催(観衆4万3077人)された。

<市川大祐氏の歩み>

 ▼1980年(昭55) 5月14日、清水市(現静岡市清水区)に生まれる。

 ▼92年 高部小1年からサッカーを始める。小3からは清水FCに選抜され、6年時の92年、全日本少年サッカー大会優勝。

 ▼93年 清水ジュニアユースに加入。3年時には日本クラブユース優勝。

 ▼96年 清水ユースに昇格。

 ▼97年 清水工(現科学技術)2年時の12月14日、福島FCとの天皇杯2回戦でトップデビュー。

 ▼98年 3月21日、開幕の札幌戦(日本平)に出場。17歳でJデビュー。4月1日には日本代表として韓国戦(ソウル)で国際Aマッチに初出場。17歳322日の日本代表デビューは最年少記録。同年11月14日の市原戦では、J初ゴール。

 ▼99年 清水の右サイドに定着。左の三都主アレサンドロとの強烈なサイド攻撃で、第2ステージ優勝に貢献。

 ▼02年 W杯日韓大会で日本代表メンバー。3試合に出場し、チュニジア戦ではアシストも記録した。

 ▼10年 契約満了に伴い、清水を退団。

 ▼11年 甲府に移籍。

 ▼12年 水戸に移籍。

 ▼13年 当時JFLだった藤枝MYFCに移籍。

 ▼15年 FC今治に移籍。

 ▼16年 ヴァンラーレ八戸に移籍。10月に、同年限りでの引退を発表。

 ▼17年 清水の普及部コーチを務める。