サッカー元日本代表で、1月26日に引退を表明した元J1ベガルタ仙台FW平山相太氏(32)が3日、東京・味の素スタジアムで行われたJ1第2節・FC東京対仙台戦後、同所で行われた引退セレモニーに出席し、仙台大体育学科に合格したことを、あらためて報告した。

 その上で、仙台サポーターに「仙台で大学生になるんですが、見つけた時は声をかけて下さい」と呼び掛けた。

 スーツ姿の平山氏は、16年までプレーした東京時代の活躍を紹介する映像が流れる中、ピッチに立った。2009年11月3日のナビスコ杯決勝で川崎フロンターレからゴールを奪い、勝った映像を笑顔で見つめた。そして東京のサポーターに向けて、最も印象に残っているのが、10年12月4日に東京の初のJ2降格が決まった京都サンガ戦後のサポーターの声援、応援だったと告白。「引退を決めた時、降格が決まった時の応援、声援が響きました。人生で苦しい時があっても、自分の中で、また響いて前進の後押しになると思っています。(中略)一番苦しい時に声援を受けた感動を糧として生きていきたいと思います。本当にありがとうございます」と感謝した。

 平山氏は長崎・国見高時代に全国高校選手権で2大会連続得点王となり「怪物」と呼ばれた。04年に筑波大に進学も、05年休学しオランダ1部ヘラクレスでプロデビューし、翌06年4月に筑波大を中退。その後、同年に東京に移籍し、J1で168試合に出場33ゴールを記録した。17年に仙台に移籍も、開幕直後の練習で左くるぶし付近の腱(けん)を脱臼した影響で、プロ入り後、初めて公式戦に出場できなかった。同12月に全体練習に復帰したものの、同じ箇所を痛め、1月15日からの沖縄キャンプには帯同せず、仙台で治療を続ける中、引退を決意した。平山氏は仙台サポーターに「ユアスタでの声援が絶大な後押しになっていて、自分が受けられるんだと楽しみにしていました。結果的に、ユニホームを着て受けることが出来なくて、自分のサッカー人生の唯一の心残りになると思います」と、無念の思いも吐露した。

 引退後は指導者を目指して大学進学を表明し、2月21日に仙台大体育学科にのAO入試を一般で受験し、同23日に合格。中高の教員免許取得と並行し、Jクラブの監督就任も目標のため、日本サッカー協会のライセンス取得も目指す。

 この日、仙台のゴールマウスを守ったのは、国見高3年時に選手権と全国高校総体をともに制した同期の関憲太郎(31)だった。関は仙台の1ー0完封勝利に大きく貢献。平山の古巣・東京には味の素スタジアムで公式戦12戦未勝利だったが、初勝利で平山のセレモニーに花を添えた。

 平山氏はスタンドを周り、東京と仙台のサポーターにあいさつした。【村上幸将】