FC東京が浦和レッズを2-0で下し04年以降勝利のなかった、味スタでの浦和戦でついに勝った。

ロシア・プレミアリーグ(1部)、ロストフへの完全移籍が決まっている日本代表MF橋本拳人(26)は東京でのラストマッチ。先発出場し、勝ち点3を置き土産に、近日中にロシアに向かう。

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勝利を告げる笛が響くと、橋本は両拳にぐっと力を込めて天を仰いだ。歓声はほとんどない。コロナ禍で入場制限のある中、訪れたサポーターからは代わりに大きな拍手をもらった。MF東が退いた終盤の約10分間は、重いキャプテンマークを巻いてプレー。「自分が入団してから(在籍中は)浦和に勝ったことがなかった。ここで勝ててよかった」。笑顔で慣れ親しんだピッチを離れた。

遅咲きだった。19年3月、追加招集の形で初めて日本代表に呼ばれた。国際親善試合のボリビア戦(ノエスタ)でデビュー。持ち味のボール奪取は通用した。その後も招集されて定着。ここまで国際Aマッチ7試合に出場している。

日本代表の一員として過ごした時間が橋本を変えた。東京でチームメートだったマジョルカMF久保建英ら代表メンバーは大半が海外組。宿舎で食卓を囲むと、会話についていけなかった。「異国で生き残るために、本当に自分を追い込んでいた。タフになるのも当然だと感じた」。国内組でもやれることを証明する-。育ててくれた東京が大好きだった。だから、そう意気込んでいた。しかし、飛び込んでみると、そこには知らない世界が広がっていた。

それ以来「このままじゃいけない」という危機感が常にあった。日本人ボランチで、海外で成功したといえるのはMF長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)ら数少ない。今年で27歳という年齢を考えても、挑戦のチャンスが巡ってくる可能性は高くないと考えていた。加えて新型コロナウイルスの感染拡大により、移籍の動きが鈍化することも目に見えていた。そんな中、届いたのが、ロストフからのオファーだった。

是が非でも行きたい-。そんな高揚感と同時に、脳裏に浮かんだのは昨季の最終節、横浜戦の光景だった。悲願のリーグ初優勝を目指して突き進んだが、無念の2位。横浜がタイトル獲得に歓喜するのを目の当たりにした。東京の下部組織育ち。中学校のころから着続けた青と赤のユニホームの初Vに貢献することが恩返しだと胸に刻んでいた。

「クラブを代表する選手になれ」。長谷川健太監督から掛けてもらった言葉も強く耳に残っていた。下部組織出身、生え抜きとしての使命感もあった。OBの石川直宏氏から受け継いだ背番号18は、クラブのシンボルといえる特別な番号。移籍すべきか、残るべきか…。自宅の壁にかけたユニホームと向き合い、自問自答を続けた。

目を閉じて振り返ってみた。思えば、はい上がってきたサッカー人生だった。「自分は厳しい環境に身を置いた時に成長してきた」。下部組織時代はポジション転向で生き残り、生存競争を乗り切った。トップ昇格後はすぐにJ2熊本へ期限付き移籍。武者修行だったが、出発の数日前に唐突に告げられた移籍だった。事実上の戦力外通告だと理解し、その挫折も糧に巻き返し、復帰を勝ち取り、レギュラーに定着し、日本代表にのぼりつめた。残留すれば、愛するクラブの象徴として君臨できたかもしれない。

「ここで『東京の男』になれたら、それも格好いいドラマ。でも、自分は自分に甘い性格だし。地べたをはいつくばるというか、四苦八苦しているくらいがちょうどいい」

決めた。原点に返ることにした。「好きなことでお金ももらえて、幸運な人生だと思う。でも、それで満たされるどころか、渇きを感じた。もっとサッカーがうまくなりたい」。ここからもう1度、サッカーを突き詰める。そのために、東京で築いたものを捨てることにした。

18年W杯で日本がベルギーと死闘を繰り広げた地、ロストフナドヌ。現在、日本人は留学生がたった1人いるだけだと聞いている。「日本からは映像で簡単に見られないようなリーグ。存在を忘れられないように頑張るよ」。こんな挑戦を待っていた。8年前、東京から“片道切符”で熊本に向かう飛行機の窓からの景色は、悔し涙でかすんだが、もう違う。東京からロシアに旅立つ日の視界は、希望で開かれているはずだ。【岡崎悠利】

◆東京の過去の浦和戦 ルヴァン杯を含めたJリーグ公式戦で通算8勝11分け24敗と大きく負け越していた。有利なはずのホームでも5勝7分け10敗と黒星先行。東京のホームゲームだった13年9月14日の国立競技場での対戦で3-2と競り勝ったことはあったが、本拠地の味スタでは04年9月23日にFWルーカスのゴールで1-0と勝ったのを最後に15試合連続未勝利(6分け9敗)だった。

◆橋本拳人(はしもと・けんと)1993年(平5)8月16日、東京都生まれ。東京の下部組織から12年にトップ昇格。13、14年はJ2熊本に期限付き移籍しプレー。15年に東京に復帰し、19年3月に日本代表に初選出。19年はJリーグのベストイレブンに初選出された。183センチ、76キロ。