日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が12日に開幕し、INAC神戸―大宮戦など5試合が行われた。女子サッカーリーグを草創期から取材している記者が、当時の思い出とともに新たな時代の始まりについて考えた。

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1989年(平元)9月9日、西が丘サッカー場には「熱」があった。記念すべき女子日本リーグの開幕戦、初年度参加6チームが整列した開会式の後、読売ベレーザが清水FCと対戦した。竹本一彦監督率いる読売が、21歳のMF高倉麻子の第1号ゴールなどで2-0と快勝。女子サッカーの新しい歴史が始まった。

選手たちは熱かった。それまで女子の公式戦は年1回の全日本選手権だけ。90年アジア大会で採用され、91年には第1回W杯を控えていた。「強くなりたい」「試合がしたい」「女子を盛り上げたい」…。選手たちの思いに竹本氏ら指導者たちが奔走。ようやく実現した全国リーグに、選手たちは喜びを爆発させた。

米国や欧州にプロリーグがなかったころ、世界中のトップ選手が「プロ」として日本に集まった。89年に約1万人だった女子の登録選手数は、わずか5年で倍以上に。リーグは「世界最高峰」とまで呼ばれた。

しかし、勢いは続かなかった。シドニー五輪出場を逃した2000年前後から急降下。リーグ消滅の危機に立った。04年アテネ五輪出場で持ち直し、11年W杯優勝でピーク。01年に2万人を割っていた選手数が3万人突破した。ところが、その後は頭打ちで選手数も減った。12年に1試合約6000人だった観客数も5分の1まで減っていた。

浮き沈みの激しいリーグだ。初年度参加6チームのうち、今も残っているのはベレーザだけ。他の5チームは消滅した。その後加入したチームの多くも廃部や解散。男子と比べて企業が飛び付きやすく、離れやすい。「なでしこリーグ」に名称変更したように、女子サッカーは代表に依存してきた。代表成績が、リーグの浮沈まで決めてきた。

プロリーグ発足の目的が「代表強化」にあるのはいい。リーグの成功が代表強化につながるのは間違いない。ただ、代表の成績に左右されるようでは将来が不安だ。「代表は負けたけれど、オレたち、私たちにはクラブがある」となれば、プロリーグは成功する。

代表人気に依存しないためには、地道な地域活動が必要。Jリーグ川崎FやBリーグ千葉のように、地元に愛されないと生き残れない。あとは、日本女子リーグ発足時と同じ「懸命なプレー」。選手の「熱」を持ったプレーは、必ず人の心に届く。新リーグ誕生は新たなスタート。ここから歴史は始まる。【荻島弘一】