高校サッカーに「聖地・国立」が帰ってきた-。第100回の記念大会が、東京五輪・パラリンピックのメイン会場となった国立競技場で開幕し、関東第一(東京B)が中津東(大分)を6-0で下した。国立開催は、2013年(平25)度の第92回大会以来8年ぶりだった。試合は関東第一が6選手で6得点し、2大会連続の2回戦進出。中でも10番を背負うMF肥田野(ひだの)蓮治(3年)が、新国立の工事に携わった父英生さん(48)が見守る前で5得点に絡む大活躍だった。

【高校サッカースコア速報】

開幕戦における国立物語の最後を締めくくったのは、やはり肥田野だった。5-0の後半39分。左クロスに飛び込み、利き足の左で流し込んだ。「開幕戦で決めたい」と話していたエースが、有言実行の得点だった。狙っていた高校生1号こそ逃したが「立ち上がりからいい流れで入れて、自分たちの流れに持ってこられた」と勝利をかみしめた。

趣味は絵描き。国立のピッチも“デッサン”した。前半13分には自身の右CKからの流れで先制点を演出。同22分には、左クロスに頭で折り返し、そこからの流れで2点目をお膳立て。後半3分には、右足の強烈なシュートを放ち、4点目をアシスト。同36分には、自身のドリブルの仕掛けから5点目がうまれた。「暇さえあれば、風景画を描く」芸術性に満ちあふれた10番が6点中、5得点に絡む活躍で国立の“キャンバス”を彩った。

アイデアは考えずとも、自然にうまれる。小学生時代には、地元の千葉・習志野市で表彰されたことも。気分転換に手に取る絵の具。「サッカーにつながっていると思う」と話す通り、相手の予想を超えるプレーで“筆”を走らせた。ノールックパス、タイミングを完全に外した切り返し…。ファンだと言う川崎FのMF家長昭博をほうふつとさせる、独特の間合いでチームの勝利を描いた。

そんな愛息の姿をスタンドで見つめたのは父英生さん。自らが建設に携わった新国立競技場で、息子と勝利をかみしめた。配管の工事で約1年間、入っていた現場。今度は愛息が、その現場に立った。息子にとって「お父さんが仕事で国立を造ることに関わっていた。楽しみ」と話していた舞台。父は国立、家族のために汗をかいた。息子はチーム、応援してくれる家族のために汗をかいた。

チームはこれで、2大会連続の2回戦進出。肥田野は「まだ今日の強度だったら全然足りないと思うので、この2日間でしっかりそこをもっと意識的に変えて、2回戦突破できるように頑張りたいです」と意気込んだ。国立でプレーするためには、準決勝進出しなければならない。「国立物語」は、続いていく。【栗田尚樹】

<国立と高校サッカー>

◆聖地 選手権では第55回の76年度から首都圏開催となり、国立が使用されるようになった。77年度に準々決勝1試合が例外的に国立で開催されるなどはあったが、国立でプレーできたのは準決勝、決勝に出る4校だけ。99~13年度は開会式直後の開幕戦も国立で行われ、改修前「最後の国立」は13年度で富山第一が星稜を下して優勝。

◆あこがれ 84年1月8日、帝京と清水東の決勝は約6万2000人が来場。清水東の大榎克己、長谷川健太、堀池巧の「清水3羽からす」は大人気で、国立に入りきれないファンも多く、満員となった国立は高校生の憧れの地となった。

◆雪の国立 雪中の国立で行われた97年度の東福岡と帝京の決勝は名勝負として語り継がれる。東福岡の本山雅志、帝京の中田浩二はその後、J1鹿島で活躍。01~03年度に通算最多17得点を挙げた平山相太(国見)は「自分もあそこでプレーしたい」と憧れた。

◆国立から世界へ 日本がW杯に初出場した98年フランス大会メンバーの城彰二(鹿児島実)川口能活(清水商)らも選手権で活躍。08年度に1大会最多10得点を決めた大迫勇也(鹿児島城西)はその後、世界へ羽ばたき、現在も日本代表の主力FWとして活躍する。

 

▼記録メモ 関東第一が改修後初の国立で中津東に6-0で大勝。改修前を含め国立競技場での1チーム1試合最多得点記録は第72回の1993年度大会準決勝で国見が東福岡戦でマークした8得点。今大会の関東第一の6得点はそれに次ぐ史上2位タイ。93年度の国見は長身の1年生FW船越優蔵がハットトリックを達成し、他に5人がゴールを決めた。

【高校サッカー日程と結果】

【高校サッカー組み合わせ】