セレッソ大阪を前身ヤンマー時代から支えた元日本代表「ネルソン吉村」こと吉村大志郎さんが、03年11月1日に56歳で亡くなり19年がたつ。22日の広島とのルヴァン杯決勝(国立)に臨むC大阪小菊昭雄監督(47)は、スカウト時代の上司がネルソンさんで、父親のような存在だったという。ネルソンさんの夫人、多恵子さん(75)が大一番に向け“息子”にメッセージを寄せた。

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ネルソンさんと同じ1947年生まれの多恵子さんは、9月に75歳の誕生日を迎えた。夫妻の長男と同じ47歳の小菊監督のことを、時に「あの子」と呼び、本当の子どものようにかわいがってきた。

「あの子はね、ネルソンの下で本当によく働いてくれたの。自宅に送り迎えしてくれたり、細かい事務作業などすべてこなしてくれた。私は今も感謝してもしきれないの」

Jリーグの選手経験がない小菊監督が、愛知学院大を卒業した98年、C大阪の下部組織にコーチとして採用された。その後、吉村さんが在籍するチーム統括部へ、スカウト担当として異動したのが02年。既に01年、吉村さんは国見の大久保嘉人を各クラブによる争奪戦の末に獲得していた。

スカウト歴の浅かった当時の思い出を、小菊監督が語ったことがある。

「ネルソンさんから突然、和歌山で高校生の合宿を見てきて、と言われたんです。先入観なしに目についた選手の名前を言うと、正解だと、ほめていただいた。それがうれしかった」

当時初芝橋本高3年で、03年入団のMF酒本憲幸のこと。ネルソンさんと小菊監督の評価が一致した選手だった。

ブラジル出身のネルソンさんは日本語は堪能だったが、漢字が苦手だった。書類作成の作業を手伝う小菊監督に対し、ネルソンさんはスカウトの人脈やノウハウを教えた。小菊監督が06年に香川真司を獲得できたのも、ネルソンさんの情熱を肌で感じていたからだ。

高校2年で父親を亡くした小菊監督にとっても、ネルソンさんはサッカー界の父だった。3年にも満たない時間だったが、感謝してもしきれないという。

約15年という長いコーチ生活から小菊監督は昨年8月、監督に初昇格した。多恵子さんは言う。

「監督になって1年が過ぎ、神経がやられないか心配だった。でも、よう頑張ってる。この前、私から激励の連絡をしたの。決勝はどきどきして血圧が上がりそう。でも、ネルソンはあの子の優勝を待っているから」

兵庫県内にある吉村家には毎年、11月1日の命日になると小菊監督は夫婦で足を運び、手を合わせてきた。勝てば就任1年2カ月での初タイトルになる小菊監督は「いい報告がしたい」と、静かな闘志を燃やしている。【横田和幸】

◆吉村大志郎(よしむら・だいしろう)1947年8月16日、ブラジル日系2世「ネルソン吉村」として同国サンパウロで生まれる。高度な技を操るMFで67年にヤンマー入りし、優勝4度、通算189試合出場の日本リーグで72年アシスト王。70年「吉村大志郎」として日本国籍取得。日本代表で73年W杯予選など国際Aマッチ45試合7得点。80年引退後は監督などを務め、C大阪ではスカウトなど歴任した。10年日本サッカー殿堂入り。