93年に始まったJリーグが30周年を迎えた。記念すべき開幕戦となった同年5月15日のヴェルディ川崎(現東京V)-横浜マリノス(現横浜)で横浜MのMFとしてピッチに立った室蘭市出身の野田知氏(53=現広島ユース監督)が当時の熱狂ぶりを振り返った。【取材・構成=保坂果那】

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24歳だった野田氏は、感慨深い表情の先輩たちの横で冷静に日本サッカー界の新時代の幕開けを感じていた。横浜Mのスタメン最年少だった。国立競技場には5万9626人が詰めかけた。チケットは抽選。選手でさえも数枚しかもらえないほど、入手困難だった。聖火台を境にして、両チームのサポーターが埋まっていた。ギターの生演奏、レーザー光線による演出、Jリーグ公式マスコットキャラクターの巨大バルーンの登場。盛大なセレモニー中、選手はウオーミングアップしていた。

野田氏 音だけ聞こえてきて、見ることはできなくて。何をやっているんだろうって。すごい盛り上がっているなと感じた。僕は緊張した記憶はない。日本のプロサッカーの本当に始まりの日だったので、日本リーグ時代から日本サッカーを背負ってきた木村和司さん、水沼貴史さん、川崎の加藤久さんとかは、キックオフの時に感慨深そうな表情をしていて「やっと始まるな」って感情を感じた。

チアホーンの音が会場いっぱいに響き、声援でピッチ上の選手同士の声が通らない盛り上がりだった。前半19分、川崎FWマイヤーのミドルシュートで先制を許した。

野田氏 シュートの瞬間、シュートブロックに行ったけど間に合わなかった。素晴らしいシュートだった。

0-1でハーフタイムに入ると、ロッカールームでチームの気勢は上がっていた。

野田氏 ベテランの方が「ここで勝てば歴史に残る。逆転して勝つぞ」と言っていた。

後半、横浜Mが逆転に成功する。3分に左CKからMFエバートンが同点弾を決め、同14分にFWディアスがこぼれ球を押し込み勝ち越した。2-1で勝利。歴史的白星を手にした。

あれから30年が経つ。10クラブからスタートしたJリーグは、23年は60クラブに増えた。日本代表はW杯に7大会連続で出場し、22年カタール大会ではドイツやスペインから勝利を挙げた。当時では想像もできなかった成長を遂げている。

野田氏 サッカー人口は増えたと思う。野球ほどの歴史はないけど、いろんな地域にチームがある。地元の人が応援してシンボル的なチームになっている。日本サッカーはW杯を見ていても結果が出ているし、レベルは上がっていると思う。

自身は現在、広島のユースの監督を務める。現役引退後は指導者の道に進んだ。

野田氏 プロで活躍する選手に育てていかないといけない。

開幕を知る1人として、Jリーグのさらなる発展を願い、育成に力を入れている。

◆野田知(のだ・さとる)1969年(昭44)3月19日、室蘭市生まれ。室蘭大谷3年時の全国高校選手権で4強入り。国士大から91年、当時日本リーグ1部の日産(現J1横浜)加入。99年から福岡、03年から九州リーグの鹿児島でプレー。05年から神戸コーチや同ジュニアユースコーチ、監督を務め、22年から広島ユースコーチ、今季は同監督。J1リーグ通算278試合14得点。現役時代のポジションはMF。