今やJリーグ屈指の名門となった川崎フロンターレ。そのクラブ史の中で、J1昇格、そしてJ1上位進出を目指した00年代に守護神としてクラブを支えた男がいる。
吉原慎也氏(45)。
10年夏に現役を退いた吉原氏は、サッカー界を離れ、ビジネス業界に身を投じることを選択。現在は建物の改修工事を専門とするグローバル・エージェンシー・コーポレーションの代表取締役として経営を担いながら、日本経済大女子サッカー部の支援など、サッカー界への恩返しを始めていた。
【取材・構成=菅家大輔】
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9月24日、5万4000人超が国立競技場に詰めかけたJ1湘南ベルマーレ-川崎F戦の試合前、盛り上げに一役買ったのが両クラブOBによるPK対決だった。川崎FのOBとして登場した吉原氏は、相手の3人目のキッカー名良橋晃氏のキックを見事にセーブ。守護神として、現役さながらの存在感を示した。
吉原氏 あのような舞台に呼んでいただき、大きな声援をいただけて、本当にありがたかったです。僕がプレーしていたのは川崎FがJ1昇格、J1昇格後は上位進出、そして初タイトルを目指していた時期。今のようにJ1で不動の地位を確立していなかった頃です。僕も川崎Fの歴史に携われていたんだなと強く感じることができました。
「聖地」国立で大歓声を浴び、歴史ある両クラブのOBとしてイベントに参加した。自分はサッカー人なんだ-。そんな思いが、あらためて胸に去来した。なぜなら、吉原氏は10年7月に引退発表して以降、サッカー界を離れ、13年にわたりビジネス業界を死に物狂いで生きてきたからだ。
吉原氏 10年7月に柏で引退発表した時、既に「サッカー界しか知らない僕が、サッカー選手という肩書がなくなった時に何ができるんだろう」という思いが強くありました。サッカー界の外を見なければダメだという危機感と、外を見たいという挑戦心が湧き上がっていました。
行動は早かった。引退してすぐに韓国系企業に半年ほど在籍した後、子どもが誕生したのを機に知人の経営者に誘われて都内の建設業の会社に就職。営業職として会社員生活の第1歩を踏み出した。
吉原氏 32歳の新入社員ですから、会社の上司に営業をイチから学びました。営業資料を作るのにパソコンの使い方、商談に臨むのに大切なビジネスマナー、営業の電話マナーも全てイチから学びました。最初の1年間は疲弊しきっていました。ただ、上司は厳しくも愛情あふれる方で、営業、そして現場業務と、僕の会社員としての素地を作っていただきました。
自宅のある東京・三鷹市から日本橋のオフィスまで往復ともにラッシュ時のギュウギュウ詰めの電車通勤を経験。初任給は25万円ほどで、税金を引かれると20万円を切った。Jリーガーとして現役時代にもらっていた給与とはかけ離れた金額だったが、それでも汗水垂らして得た給与がありがたかったという。
吉原氏 会社員の皆さんのすごさを痛感しました。あんなラッシュを毎日経験した後、ガッチリ仕事をして、さらに業後は飲みに行く。僕は仕事がきつくて、月曜日に提出する週一回の営業報告書の作成も大変で、飲みに行く気力なんて起こらなかった。会社員ってなんて体力なんだ…と思っていました。
ただ、自分と厳しく向き合い、妥協しない生き方をしてきた現役時代の精神が生きたのか、次第に営業成績は上がっていった。さらに、入社3年目には九州地区の営業所を任され、見ず知らずの九州の地で独立するに至った。
吉原氏 僕のことなんて誰も知らない、知っているとしたらアビスパ福岡などJクラブのサポーターくらい。さらに、住んだことも、親戚もいない九州の地で挑戦できたことが逆に良かったと思います。背水の陣と言いますか、やるしかない状況だったので。営業がうまくいかず、「どうしたらいいんだ」と、会社の近くの公園のベンチでコーヒーを片手にボーッとしたこともあります。でも、お客さまの立場に立って、とにかく徹底して仕事に打ち込み、今があります。
自身も国家資格の一級建築施工管理技士を取得した。経年劣化した建物の改修工事を専門に行う会社として、「他社のチェックを受けても問題点が分からなかった建物を徹底的に調べ上げて問題点を見つけ、改修できるのが弊社の特徴です」と説明する。
吉原氏 僕がGKだったということもあり、1つのミスも抜けも許せない、それが致命傷になるという感覚が身についています。それが仕事にも、かなり生きていると思います。
改修工事専門の会社として高度な技術力を持つプロ集団を現場ごとにベストな形で構成し、1つ1つの現場の業務を徹底的に成し遂げる。手広く仕事を引き受けず、自分たちのキャパシティーを理解して丁寧に対応できる範囲で受ける。そして、顧客の悩みに真っ先に反応し、スピード感ある対応をする。誠実な仕事ぶりは、失点しないため、チームの勝利のために徹底的にこだわり抜いたプロ生活で積み上げた経験がバックボーンとなっている。
そんな吉原氏は現在の拠点としている九州の地で、サッカー界への恩返しを始めていた。クラブチームのワンソウルC福岡では小中高生から社会人までGKを指導。そして、仕事を通じてつながりができていた日本経済大に22年3月から女子サッカー部が創部されることになった。
吉原氏 サッカー界を離れて会社員、そして経営者として挑戦してきましたが、サッカー界で培った皆さんとのつながりは、ずっと続いていました。仕事でお世話になっていた日経大さんが女子サッカー部を立ち上げると聞き、J1横浜時代の先輩の賀谷さんが監督に就任したこともあり、本当に縁を感じました。女子部員のみなさんのひたむきさにも共感し、弊社で支援しようと思うに至り、今夏からユニホームスポンサーをさせていただくことになりました。
創部2年目の今年は大学1、2年のみのメンバー構成で、福岡県女子サッカー選手権で優勝。7日から沖縄県で開幕する皇后杯予選を兼ねた九州女子サッカー選手権に出場する。1回戦から3連勝すれば、皇后杯出場権を獲得できる。
吉原氏 創部2年目のチームが本当に頑張っている。賀谷さんの指導力のたまものだとは思うのですが、選手たちも素晴らしい。本当に期待していますし、僕も沖縄まで応援に行きます。もちろん、日経大女子サッカー部だけでなく、自分なりにサッカー界にどのように貢献、恩返しできるかを考えていきたいし、考えられる段階になったのかなと思います。古巣の川崎Fはもちろんのこと、女子や育成に興味があります。仕事を徹底的にやりながら、サッカー界に対しても動いていきたい。
顔立ちは現役時代の精悍(せいかん)さに柔らかさが加わっていたが、仕事の話をする時は現役さながらの鋭さがかいま見えた。プロサッカー選手としてだけでなく、会社員としての厳しさも経験したからこそ醸し出される、深みのある表情だった。
◆吉原慎也(よしはら・しんや)1978年(昭53)4月19日、茨城・日立市生まれ。日立工高卒業後、97年に横浜M入団。99-00年にJ2新潟への期限付き移籍を経て、01年に川崎Fに完全移籍。07年に東京V、09年に磐田に期限付き移籍した後、10年に柏に完全移籍したが、故障の回復が見込めず同年7月に引退を表明した。J1出場20試合、J2出場142試合。185センチ、76キロ。



