ヴィッセル神戸の初代強化部長で社長も歴任した安達貞至氏(85)は、万感の思いで初優勝のシーズンを見届けた。クラブ発足から29年目。創設時から携わる「生き字引」が、苦難の日々を振り返った。【取材・構成=永田淳】

     ◇     ◇     ◇

長く、険しい道だった。安達氏はこの日、パナスタで最終戦を見守って「本当に良かったなあ。長かったけど、やっとここまで」と感無量の面持ちで言った。

チーム始動日の95年1月17日が阪神・淡路大震災が発生したことは有名な話。クラブの第1歩は選手、スタッフの安否確認だった。そしてメインスポンサー、ダイエー撤退後に奔走したのが、安達氏だった。

「あらゆる人の顔を借りて、話を聞いてくれる会社に片っ端から足を運んだ」

兵庫県出身で当時の通産省にいた西村康稔氏(現経済産業大臣)もその1人で、紹介された企業を回った。選手たちは神戸でグラウンドを転々。震災で、練習場までの道路が封鎖され、午前10時の練習開始が5時間遅れたことも。本来は必要な移籍金を免除したり、寄付を募ったりと、他クラブの助けもあった。ただ96年にJ参入を決めても知名度は高くなかった。領収書に正式名に書いてもらえず、宛名が「ビッセル工業」だったこともあった。

04年から三木谷浩史氏が運営権を獲得。安達氏は三木谷氏に請われてGM、社長も務めた。05年に初のJ2降格など苦しい時期をともに歩んだ。安達氏は初優勝の直後に「本当に良かったって(三木谷会長と)ハグして泣いた」と言う。

05年に生まれた特別な応援歌がある。震災から歩んできた歴史を表している「神戸讃歌」。シャンソンの名曲「愛の讃歌」にのせて選手、サポーターが歌う。

「俺たちのこの街に お前が生まれたあの日 どんなことがあっても 忘れはしない ともに傷つき ともに立ち上がり これからもずっと 歩んでゆこう 美しき港町 俺たちは守りたい 命ある限り 神戸を愛したい」

この日夜、ミナト神戸の象徴である、メリケンパークで「優勝を祝う会」が開催された。三木谷会長は「来年はACL優勝を目指して戦いたい」。集まった約1万5000人とともに「神戸讃歌」を歌った。それはクラブに携わる人たちが夢に見てきた光景だった。