節目のプロ20年目を終えた、関東リーグ1部・南葛SCの元日本代表MF関口訓充(37)が日刊スポーツの取材に応じ、主将を務めた2023年シーズンを振り返った。
10番を背負った帝京高(東京)から04年にベガルタ仙台入りしてプロ選手に。浦和レッズ、セレッソ大阪、再び仙台と渡り歩き、J1通算225試合12得点、J2通算247試合20得点を誇った。一転、当時J1の仙台から国内“5部”相当のカテゴリーへ挑戦の舞台を変え、迎えた2季目。背負ったもの、懸けていた思いを、聞いた。
関口は、まず感謝から口にした。
「納得いくシーズンにはなりませんでしたけど、何とか今年も1年間、戦い抜くことができました。結果で応えることができず心苦しいですが、皆さんが支えてくれたからこそ、今年もまたサッカーに集中する日々を送れました。本当にありがとうございました!」
南葛SC2年目も、JFL昇格は果たせなかった。まず昨季は7位。22年1月に自身が加入した後、FIFAワールドカップ(W杯)日本代表組のMF稲本潤一、MF今野泰幸、DF伊野波雅彦らビッグネームが続々と続いた。
ところが“5部”のレベルは低くなく、甘くなかった。地域リーグの中で最もレベルが高いとされ、今季も開幕2連敗で森一哉監督が解任。6勝4分け8敗の6位で関東1部に封じ込められた。
「昇格どころか、最後の最後に何とか残留を決めた1年で…。キャプテンとして昇格に導けなかった。まとめ切れなかった責任は感じています。もちろん練習から手を抜かず、試合に出ていない選手への声掛けも含め、全員が同じ方向を見て突き進めるよう、取り組みはしましたが」
注目度の高さゆえに、相手は南葛SC相手だと120%の力を出してくる。それは、元日本代表監督の岡田武史氏(日本協会副会長)がオーナーのFC今治でも起きている現象で、なかなかJ3からJ2へ昇格できないことが難しさを物語っている。
「そういう状況の中で、やはり働きながらの選手もいますし、自分は仲間と同じ目線を心掛けました。『俺はJで18年間、約500試合も出てきたんだ』なんて言っても誰もついてきてくれないですし、自分らしくコミュニケーションを取りながら、若手をイジりながら、楽しくも厳しく引っ張っていければと。ただ、結果が全て。とても難しい1年になりました」
個人としては、けがと向き合うシーズンになった。プロ20年目にもなれば、避けて通れない。股関節のグロインペイン症候群で夏場に離脱した。
18年間、ずっと天然芝でプレーしてきた男が、この2年間は人工芝。「かなりケアしたつもり」であっても、負荷は蓄積し、ベテランの体をむしばんでいた。
8月に3週間、戦列を離れた。それでも今季18試合のうち1試合の欠場だけで済んだのは、治療に専念した3週間の大半をリーグ中断期間に当てるべく、我慢したからだ。
今季は17試合3得点。豪快ミドルを突き刺した試合もあれば、あと1本を決め切れず、勝ち点を取りこぼしたゲームもあった。満足はできない。ただ、キャプテンマークだけは巻き続けた。
「痛みさえなければ、もっとこんな動き、あんなプレーができるのに、と思いながら。少しでも痛みが出ないよう、うまく付き合いながら、という年齢になりましたけど、あらためて再確認できましたね。サッカーを当たり前にできる環境がどれだけ幸せか」
仙台から、まさかの契約満了を告げられた21年末。J1で34試合中28試合に出ながら、即「引退」の2文字が頭をよぎった。
「でも、引退した選手の誰に聞いても『できるうちは、やり続けた方がいいよ』って言うんです。『つらいな、痛いな、やめたいな』って感情に負けてスパイクを脱いでしまえば『絶対に後悔する』と」
少なくとも「40歳」までプレーする覚悟を決めている中で、今年も決断した。
「残留します。来季も南葛SCでプレーさせてもらいます」
区切りである40歳まで、あと2年しかない。24年こそJFLに導くべく、来季は風間八宏新監督の下で再びトライする。
「まだあいさつ程度ですけど、お目にかかって。監督が変わればサッカーも変わるので、本当に楽しみですね。自分自身、まだまだサッカー選手であるうちは成長したいと思っていますし、まだまだ成長できる自信もありますから」
思い返せば13年前。24歳で日本代表に選ばれた。FWリオネル・メッシも出場していたアルゼンチン戦で国際Aマッチに初出場。代表史上初めて、同国から1-0の金星を挙げた2010年10月8日の埼玉スタジアムで、後半から当時のアルベルト・ザッケローニ監督に投入され、昨冬のFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会で悲願の頂点に立った世界最高のフットボーラーと、同じ芝の上を走った。
J1では12年に仙台史上最高の準優勝に貢献。浦和ではアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の戦いを経験し、C大阪でも一時は7番を背負って主軸を担った。
その頃に比べれば、ドリブルのキレは鈍ったかもしれない。かつては無尽蔵だった体力も落ちたかもしれない。
「でも、数値を計測してみると、若い時と変わらないというか、反対に上がった部分もあるんです。瞬発系など目に見えるスピードは下がったとしても、生命線のハードワークは今も貢献できている自負はあります。そこで妥協するようになったら関口訓充ではなくなってしまいますから」
何より、向上心だけは衰えない。むしろ支えてくれる人たちの多さを思えば、今の方がモチベーションは高いかもしれない。
南葛SC独自の施策「個人パートナー契約」に支えられている。普段の練習着に法人、個人のスポンサーを個別に付けて、パートナーの数から金額まで選手が自由に、個別に決められるシステムだ。その協賛費から諸経費を除いた額が、クラブからの年俸にプラスしての個人収入=プロ選手としての活動費になる。
「今年も、ものすごく後押ししてもらって(自宅のある仙台市から)単身赴任でサッカーを続けられています。今季も、昇格という最低限と位置付けていた目標を達成できず、サポーターの皆さんにもパートナーの皆さんにも、本当に申し訳ないのですが…」
借りは、やはり結果で返す以外にない。2年目の今季は、坂下尚弥公認会計士事務所、医療法人社団の天照会、IT企業のTRYTASに茅屋工務店、鉄道保守・メンテナンス業の三進など、多岐にわたる業界の計34社から支援を受けた。
「1年目から自分を支援してくれる方が集まってくださって、今回2年目も本当に多くの方がサポートしてくれました。背負った思いの強さはピッチで表現したつもりですし『つながり』を感じられたのは、このような制度が認められないJリーガー時代はなかったことです。引退した後も続くと信じている関係が築けて感謝しかないですし、皆さんと『共闘』できたことは、長い人生で見れば大きなプラス。今年も人として成長させてもらいました」
来季、それを私的な満足感で終わらせるつもりはない。今月26日に38歳の誕生日を迎え「Jリーガーで引退する」最後の夢へ。
「来季、もう本当に口だけでなく絶対にJFLへ昇格しないと。1年でも早くJリーグへ戻るため、全てをサッカーにささげる日々を、あと何年できるか分かりませんけど、貫き通したいと思っています」
ゴールから逆算し、持ち味の運動量を保つために、高めるために、週1回ペースで低酸素ジム「ハイアルチ」に通う。標高3000メートル相当の高地トレーニングができる施設で、心配機能は高めている。
「何とか成績で報いたいので、いただいた支援は全て、自分の体のために使わせていただいています。けがしながらも積み上げができたシーズンでしたし、ここで甘えてしまえば、もう沈んでいくだけなので、志を高く持ちつつ加齢に抗いたいですよね。そのために、もっともっと自分を追い込む必要がありますし、皆さんに応援していただけると助かります」
人生の半分を過ごしたJの舞台へ、舞い戻ることが現役最後の目標だ。そこに重なる「葛飾からJリーグへ」というクラブスローガン。40歳で成し遂げるべく最短2年でJ3昇格へ、背水の2024年へ。来季も恩返しは続く。【木下淳】



