ベガルタ仙台は今季、クラブ設立30周年の節目を迎えた。昨季16位からの巻き返しを図るため、クラブは森山佳郎監督(56)を新指揮官に迎え「J2優勝、J1復帰」を目指す。これまで広島ユースや世代別の日本代表監督、コーチを歴任。育成年代を中心に指導してきた森山監督にとってJリーグでの采配は初挑戦となる。25日大分との開幕戦を前に、新指揮官が就任の経緯や仙台への熱い思いを語った。【取材・構成 木村有優】

  ◇  ◇  ◇

導かれるようにプロ入りした。日本初のプロリーグ(Jリーグ)設立前でプロサッカー選手という選択肢がなかった当時、森山監督は保健体育科の教員免許を取得、サッカー部を指導するのが夢だった。だが、同科の教員採用試験で不合格。その後、大学時代の先輩、今西和男氏(83)のスカウトを受け、マツダサッカークラブ(現サンフレッチェ広島)に親の反対を押し切り入団。99年に現役を引退し、00年から広島ユースのコーチとして指導者生活をスタートさせた。02年に同ユース監督に就任。以降、11年間指揮を執り続けた。

その後は育成年代の日本代表監督に就任。だが、「居心地が良くなってしまい、このままでは自分自身が成長できない。年齢的にも最後の成長にチャレンジしたかった」と退任を決意。Jリーグのチームを探す中で多くの接触があったが、監督のオファーは仙台を含め、2チームだった。熊本で育ち、広島でサッカー生活に磨きをかける中で「都会のチームに食らいついてやる!」という強い信念が芽生えた。チーム選びの際には今までのチームと雰囲気が似ている仙台を希望。オファーの連絡を受け、初めて担当者と会ったその場で「サインをします」と即決した。仙台は直近3年間で4人の監督が途中解任。「就任したからには長期で育成を含めてクラブを変えていきたいが、この仕事を始めたからにはクビになる日も近い。覚悟を持ちながら全力で戦いたい」と、培ってきた指導者生活の全てをぶつける。

昨季、チームは16位。後半戦の21試合は4勝11敗6分け。森山監督は「後半戦だけを見るとJ3に降格してもおかしくない結果。変えたい一心できついことをして、体が動かずボロボロに負けるというサイクルだった」と分析。そんなイレブンを救いたい一心でチームに合流したが、誰ひとり下を向いていなかった。「『こんなはずじゃなかった』と悔しい思いを持ってシーズンインしてくれたおかげで、厳しい練習にも音を上げずに取り組んでくれた」と称賛。昨季の分析を踏まえ、チームの土台を固めてきた。今季の目標は「J2優勝」の一択。「いるべき場所(J1)へと帰りたい」と力を込めた。

「気持ちには引力がある」。森山監督が広島ユース時代からイレブンらに伝えてきた言葉だ。「目標を達成する上で、障害物やきついことがあろうと、何かを成し遂げたい強い気持ちが目標を引き寄せる」。長い指導者人生では精神面の指導にも力を入れてきた。Jリーグでは初めての指揮となる。「今は日々をこなすのに精いっぱいだが、ゆくゆくは『自分自身を成長させるプロデューサーになれ』と伝えていきたい」と語った。30周年の節目、期待は大きい。仙台へ懸ける熱い思いがチームを「J2優勝」へと導く。

 

◆森山佳郎(もりやま・よしろう)1967年(昭42)11月9日生まれ、熊本県熊本市出身。熊本二高、筑波大を経て、91年にマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団。その後、広島、横浜F、磐田でDFとしてプレーし、99年に平塚(現湘南)で引退。94年、日本代表として7試合出場。00~12年広島ユース、15~23年、日本代表のジュニアユース、ユースのコーチ、監督を歴任し今季、仙台監督に就任。愛称はゴリさん。娘はお笑い芸人の森山あすか。