W杯カタール大会の日本代表に、川崎フロンターレのジュニア(U-12)出身者のDF板倉滉(25)、MF三笘薫(25)、MF田中碧(24)、MF久保建英(21)が選ばれた。

昨夏の東京五輪に続く大舞台を踏む、4人の小学生時代を指導したのは高崎康嗣氏(52=J3宮崎監督)。小学生の彼らにどんな指導をして素材を伸ばしてきたのか。その極意を聞いた。【取材・岩田千代巳】

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板倉は川崎Fのジュニアの第1期生だ。第一印象は「足でも頭でも浮いているボールをとらえるのがうまい」。セレクションではFWで「得点王」だったが、高崎氏は「センターバック、ボランチにしたい」と感じた。両親も大柄で「180センチを超えてボールが扱えるセンターバックはなかなかいない」と将来性を見込んだ。

三笘も第1期性で、小学3年で入った。セレクションで、ニコニコしながら1人だけ別行動を取っていた姿が印象に残っている。小学生はボールに集まる「団子サッカー」になりがちだが、三笘は固まりから外れ、ボールがこぼれそうな所にポジションを取り、味方からボールを受けていた。「賢いしおもしろい」と将来性を見込んでいた。

高崎氏が、サッカーに加え、より重視したのは人間力を磨くことだった。人の目を見て話す、相手や味方との握手、自己紹介は当たり前にできるようにした。

高崎氏「最終的に、サッカーが終わってからの方が人生は長い。小学時代は分からなかったかもしれないけど、日常から意識として置いておいてくれればいいと。彼らにはリーダーになれ、1番になれ、行動は1番におこせ、弱い子は助けなさい、意見を聞いてまとめなさい、と言ってきた」

「止める・蹴る」の技術を上げることで、視野が広がることもある。板倉や田中は「タカさん(高崎氏)に出会って止める・蹴るの意味がよく分かった。それがあるから今がある」と振り返る。だが、高崎氏の教えは、ただそれだけではない。何げない日常の会話の中にも、視野を広げる工夫があった。子どもたちに「今、空に何か動いたよ、気付いた?」と投げかける。きょとんとする子どもたちに「君たちは見えてないね。鳥が動いたよ。飛行機が飛んでるでしょ」。

高崎氏「日常で気付くことができれば、目配り気配りができて視野が広がる。サッカーはそういうスポーツ。(田中)碧たちにも言ってきましたが、学校の教室は30人いる。ピッチではたかだか22人しか見なくていいんだぞと」

高崎氏は子どもたちに「指導者と教え子」ではなく、人と人として向き合った。「今、どうしてこの動きをしたのか」などと問いかけをする。語彙(ごい)力がない小学生に完璧な答えは求めていない。考えることを身に付けて欲しかった。ましてや、海外でプレーすれば、自分の意見を言語化しないと生き残れない。子どもは言葉に窮すると泣きだし、板倉も「タカさんにはよく泣かされた」と振り返る。板倉たちが小学5年のころ「何でコーチは他の(チームの)子どもには優しくて、僕らには厳しいんだ。分からない」と言いに来た。腹は立たず、逆に自分たちの意見を直接、ぶつけに来た教え子たちの成長を感じた。そして、意見を聞いた上で、しっかりと自身の考えを伝えた。

その後も教え子たちは小学生にして人の幅を広げていった。地域の有望な選手を育成する「トレセン」でも、初めて会う選手に「よろしくね」「自己紹介しようぜ」と声をかけ、コミュニケーションを図っていた。その姿を見て「リーダーになってきたかな」と感じたことを覚えている。試合で、高崎氏が相手チームの指導者と雑談をしていると、選手たちはよく、近くによって指導者同士の会話を聞きに来た。貪欲に上達のヒントを探そうとしていた。板倉、三笘、田中もそうだ。素直でよく、人の意見に耳を傾けた。だからこそ、さまざまなことを吸収し、海外や代表へと羽ばたいたと言える。

高崎氏が別格だと感じたのは久保建英。小学4年時で、既に自身の考えを言語化する能力があった。当時から2学年上の6年生とプレーしていた。「失敗は2回、繰り返さないし、有言実行。10歳にしてやっていること、見ていることが大人と同じだった」。

東京オリンピック(五輪)に続き、4人の教え子が次はW杯へ向かう。高崎氏は「一生懸命やって、たまたま僕が携われて。日々、必死になって指導してきた。確かに濃い時代だった」と振り返り、4人の大舞台での活躍に期待を寄せた。