バイエルン・ミュンヘンにネイマール獲得のチャンスがあったと、9日の独紙が報じた。クロアチア人の代理人プレドラク・ラッキが、10年にBミュンヘンはネイマールを獲得するチャンスがあったと語ったという。

 ラッキはクロアチア紙ノビリストに当時スポーツディレクターだったクリスティアン・ネルリンガーと会ったと明かした。ラッキはネイマールの代理人ワグナー・リベイロから交渉の全権を担っていたようで、1800万ユーロと追加払い600万ユーロの計2400万ユーロを要求したが、「クラブ首脳陣にとってまだ18歳になっていない選手に対してその額は高すぎた」とラッキは振り返る。

 ビルト紙はなぜネイマールがBミュンヘンにとってテーマに挙がらなかったのかの理由を指摘する。

 Bミュンヘンは南米からの選手を直接獲得することでいい経験をしていなかった(ソーサ、ドスサントス、ララウリ、ブレーノなど)。そのためほかの欧州クラブで順応した選手を欲しかった。

 当時監督だったルイス・ファンハールはトーマス・ミュラーら若いドイツ人選手を信頼して起用していた。

 ネイマールのその後の成長は予想はできたが、保証はなかった。09年アリエン・ロッベンをRマドリードから2400万ユーロで獲得したBミュンヘンにとって、同額は考えられないものだった。

 2013年には当時監督だったペップ・グアルディオラがネイマール獲得を望んだが、クラブはマリオ・ゲッツェを3700万ユーロで獲得。ネイマールは8820万ユーロでバルセロナに移籍した。