日本代表FW本田圭佑(25)のセリエAラツィオへの移籍が1月31日、破談となった。一時は移籍が秒読みとみられていたが、CSKAモスクワとの契約をあと2年残していた本田の移籍金とその支払い方法を巡って両クラブ首脳の交渉が決裂。頑として一括払いを譲らないCSKAと、分割払いを望むラツィオの間で、最後の最後に交渉が物別れに終わった。

 本田が今冬ラツィオの水色のユニホームに袖を通すことはなくなった。1月20日に表面化したラツィオ移籍話はイタリアの冬季移籍期間終了のこの日ギリギリまで続いたが決裂。ラツィオはチェゼーナMFカンドレバに急きょ狙いを変更した。イタリアのメディアは移籍が滑り込み成立した場合に備え本田サイドが移動にプライベートジェットを用意したとも報じた。しかし、今回の交渉中に本田が滞在先のスペイン・バルセロナからイタリア入りすることは1度もなかった。

 問題は移籍金の支払い方法だった。当初CSKAは契約があと2年残る本田の移籍に1600万ユーロ(約16億円)を要求。ラツィオ側はフランス代表FWシセをプレミアリーグのクイーンズパークに放出するなどし提示額を上積み。最終的に1400万ユーロ(約14億円)を2回に分けて払う案で一気に畳みかけた。

 しかし、CSKAはかたくなに一括での受け取りを要求。減額はのんだが、一括払いにこだわった。加えてラツィオはシセ放出で前線の選手がコマ不足に陥っていた。CSKAは冷静にラツィオの立場を見極め、強気の姿勢を崩さず交渉を打ち切った。

 本田自身はクラブ間交渉が大詰めを迎えていた同26日、バルセロナで日刊スポーツの取材に「ウインドー(冬季移籍市場)が閉まる最後の1時間まで、何が起きるか分からないのがこの世界だから」と話していた。日本と比べ、移籍が日常的で世界規模で選手が活発に動く欧州に身を置いている。どんな結末になろうと落ち着いて受け入れる準備はできていたはずだ。

 本田は08年にオランダのVVVに移籍後、ゴールにこだわる姿勢をむき出しにし、得点を奪って欧州で成り上がってきた。今回のラツィオ移籍話は最終的に頓挫したが、今後も自身の価値をゴールという手段で世界に示す舞台はある。

 このままCSKAに残留した場合でも、2月には欧州CLの決勝トーナメント1回戦であのRマドリードとの対戦が待つ。昨年夏に右膝を痛めて手術も受け、同11月に痛みが再発した。ケガの回復次第だが、バルセロナで取り組むリハビリは順調。3月の2回戦には出場できる可能性が高い。相手は、近い将来の加入を望むRマドリード。さらなるステップアップのため、まだまだ世界中に強烈なインパクトを与えるチャンスはある。(金額は推定)