政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

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競技場が激しい雷雨に襲われた。2005年8月9日、ヘルシンキで行われていた陸上世界選手権は2時間以上も中断した。『再開』『翌日順延』と二転三転する情報に、選手たちはいら立ち、動揺した。そんなライバルたちの姿を見て、為末大は「千載一遇のチャンスがきた」と悟った。

男子400メートル障害決勝の控室。若手がアップと帰り支度を繰り返す中、為末は動き続けて体を十分に温めた。トラックに出てからはスタート直前までアップをしなかった。「若手は自分を見て同じようにする。彼らが十分に体を動かしていなかったから、わざとアップを遅らせたのです」。もう作戦は始まっていた。

持ちタイムは8人中最下位。実力だけの比較ではメダルの可能性はない。スタート直前に雨が再び激しく降り始めた。1回目のフライングも重なり、選手たちの集中力がそがれたようだった。為末は号砲と同時にバクチを仕掛けた。ペースを度外視した無謀な暴走で、2台目のハードルまで疾走し、その直後にペースを落とした。

大外から1つ内側の第7レーンの特性を最大限に生かした。後方から最もよく見える位置。ライバルたちがつられて最初からペースを上げたが、速度が急に落ちたことで、混乱した。為末は9台目で3番手にいたが、10台目で19歳のクレメント(米国)に並ばれた。そこから最後の作戦を決行する。前転するようにゴールに飛び込んだのだ。

結果は4位に100分の8秒差の銅メダル。「最後は手の骨が折れるくらいの覚悟でゴールに飛び込みました。400メートル障害で勝ったというより、今日は賭け事に勝ったという感じ」。レースを雄弁に物語る為末のコメントは、今も鮮明に覚えている。『一世一代の大勝負を仕掛ける』という選手の言葉はよく聞いたが、成功した場面を初めて目撃した。

実はその成功物語には周到な準備があった。世界大会前は合宿調整が常識だが、為末は大会2カ月前から欧州で7大会を転戦。実戦の中で勝負勘を磨くことを優先した。常に平常心で戦えるように悪条件の田舎町のレースにも出た。ライバルの性格まで分析したという。運を引き寄せるために、時間をかけて自らの心を研ぎ澄ませていたのだ。

私にはレースと一緒に思い出すシーンがある。欧州に出発する為末を成田空港で取材した時、彼が開けたスーツケースの中の2冊の本が目に留まった。陸上とはまるで関係のない、ある大物政治家の評伝と株式投資の専門書だった。彼のあくなき好奇心と探求心に驚いた。そうやって身に付けた幅広い知識も、あの雨のレースに生きたのだと思っている。【首藤正徳】