<世界陸上:目覚めよニッポン>マラソン復活への提言(上)

 陸上の世界選手権が27日、韓国・大邱で開幕する。前回09年ベルリン大会の日本勢はメダル2(銀1、銅1)、入賞5。来年にロンドン五輪を控えた今大会は、より結果が求められるところ。世界と勝負するにはどうすればいいのか。そこで「目覚めよ、ニッポン」と題して、栄光を知る男たちの提言、有力選手の取り組みなどを紹介する。まずは今回から本紙評論家に就任した瀬古利彦氏(55)が、2回にわたり、停滞する男子マラソンの復活などについて持論を展開した。

 1980年代。日本のマラソン界は活気にあふれていた。瀬古、宗兄弟、中山が世界のトップでしのぎを削り、伊藤、児玉、谷口らが続いた。しかし、今やケニアやエチオピアが隆盛を誇り、11年の世界ランキングは上位20人中19人が東アフリカ勢。日本人トップは川内優輝(2時間8分37秒)の32位というありさまだ。復活のカギはどこに?

 現役時代は15戦10勝。「最強」の称号をほしいままにした瀬古氏は、その背景から切り出した。

 瀬古氏

 私も宗さんたちも若くしてマラソンを走りましたが、今はいなくなった。まずスピードをつけて、それからマラソンに移行するというのがここ10年くらい、コーチ、選手も信じてやってますねぇ。私と伊藤さん(国光)は違うと思っているんだけど。

 現在は「まずトラックから」の意識が強い。1万メートルの日本記録保持者・高岡はトラックでスピードを磨き、31歳の01年にマラソン初挑戦。翌年に日本記録を打ち立てた。その「高岡スタイル」が定着した。若くして距離を踏めば故障につながりやすい。まずリスクを避け、下地をつくる狙いだろう。一方で20代前半のマラソン人口は激減し、停滞傾向につながっている。

 瀬古氏

 やはり日本人は早熟というか、早いうちからやっていますから、早く伸びるんですよ。ある程度のスピードは若い頃についている。だから早くからスタミナ養成に取り掛かって、並行してトラックもやるというのが、日本人には合っていると思います。

 瀬古氏は早大1年時の20歳でマラソンデビューした。77年2月の京都だった。どういうきっかけなのか。

 瀬古氏

 だってマラソンしかなかった。私は1浪して米国へわたり、体の大きな中距離選手を見てましたから。(400メートルを)46、47秒で走るわけですよ。自分なんか50秒。1周で3秒違う。私だって日本の中距離ナンバーワンだったけど、差は歴然。(早大の)中村清監督から「お前、そんな短い足で中距離やったってダメだ。マラソンやれ」って。トラックじゃ世界に通用しないんだから。

 当時は4~9月にトラックを走るのが通例だった。瀬古しかり、宗兄弟、中山もそうだった。そこでスピードに磨きをかけ、10~3月に備える。あくまで冬のマラソンが主体である。

 瀬古氏

 言葉遣いでも中村先生から怒られた。「5000、1万、マラソンの選手」と言うと、「違う。お前はマラソン、1万、5000の選手だ。上から言いなさい」って。長い距離の意識があれば、必ず長い距離の練習をするんだと。日本人選手は海外選手に比べて体力もスピードもない。どこが一番いいかと言うと、毎日同じことを繰り返し、苦しいこともいとわずにやる。そういうのを生かせば、五輪はマラソンが一番メダルに近いんですよ。

 戦後日本にとって、マラソンは国民に勇気を与えるものだった。苦難に耐えて、その先に栄光のゴールが待っている。選手の姿に、誰もが己の人生を重ねて応援した。1964年東京五輪銅メダルの円谷幸吉、68年メキシコ五輪銀メダルの君原健二…。そして瀬古、宗兄弟、中山ら実力者が覇権を争った80年代、マラソンは一大ブームとなった。

 瀬古氏

 ケニア人ががんばったってダメなんです。日本人は日本人ががんばらないと。良きライバルがいないと。誰かが2時間5分台で走れば、誰かも2時間5分台で走りますよ。

 ターニングポイントは78年2月の別府大分毎日マラソンだった。宗茂が前半から飛ばし、40キロまで当時の世界記録を上回るハイペース。当時の世界歴代2位の2時間9分5秒でゴールした。日本人として初めて「サブテン(2時間10分切り)」だった。記録へのメンタルブロック(精神的な壁)は崩れた。

 瀬古氏

 あれは衝撃的でした。「うわぁー」って。それまでちょっと低迷期があった。それが宗さんで一気に抜け出して。今ね(10キロを)27分で走るやつ学生も含めているでしょ。それ我々の時と変わらない。宗さんも私もペースメーカーがいなかったから2時間8分で終わったけど、我々だって5分、6分台とかで、まかり通って走っていると思う。だから今の選手だって走れる。ただそういう意識がない。30歳からじゃ、もうピークを過ぎている。

 戦時中、陸軍士官だった中村清は「天才は有限、努力は無限」という言葉を残した。その薫陶を受けた男が続ける。

 瀬古氏

 いつも頭の中に「私はマラソン選手だ」っていうのがないと、練習でも何でもやろうとしない。実際、今は完全休養なんてある。考えられない。休まなくても休養できる体をつくらないと。私も高校の時は休んだけど、中村先生から言われた。「365日、1日2回練習しなさい」。足が痛くても、必ず早歩きするとか。もしマラソンをやるとなったら怖くて完全休養なんてできない。「宗さんやってんだろうな」って、いつも宮崎の空を見ながら思ってましたよ。

 では現実問題として、アフリカ勢に対抗する策はあるのか。そこで提唱するのは、1キロ3分ペースで押し切ることだ。42キロを3分平均なら、195メートルを残して2時間6分。夢の5分台も見えてくる。もちろん練習量が必要だが、意識改革がより大きなカギとなる。

 瀬古氏

 まずは自信。自分たちの壁を破っていかないといけない。自分たちの問題です。相手が2分55秒なら、3分だとそんなに変わらない。相手がちょっとくたばったら追いつける。日本人でもできますよ。2時間5分、6分は驚いた記録じゃない。5分台ならメガ大会でも優勝できる。年間しっかり「自分はマラソン選手だ」って思って、腰据えて。全然変わる。私はいつも思っていた。じゃないと絶対に練習しない。今日は休んでもいいやと思ってしまう。人間だから。(つづく)【取材・構成

 佐藤隆志】