1997年11月1日、韓国・蚕室オリンピックスタジアム1998年W杯フランス大会アジア最終予選 日本がアウェーの韓国戦で13年ぶりの勝利
1997年11月1日、韓国・蚕室オリンピックスタジアム1998年W杯フランス大会アジア最終予選 日本がアウェーの韓国戦で13年ぶりの勝利

1997年5月から翌98年4月にかけて、約1年足らずにサッカーの日韓戦を5回も取材した。親善試合とW杯フランス大会アジア最終予選を、ホームとアウェーで各2試合。残る1試合は横浜でのダイナスティ杯。戦績は2勝2敗1分けの五分。どの一戦も欧米の強豪国との親善試合にはない、火花を散らして激しく削り合う激闘で、張りつめた独特の空気に包まれた。W杯と五輪の出場枠を長年争ってきた東アジアの宿敵で、深い溝となっている両国の歴史問題も絡んで選手はオーバーヒートした。

初対決は54年3月7日、東京・神宮で行われたW杯スイス大会予選。日本は1-5と大敗した。長き因縁はそこから始まった。日本が銅メダルを獲得した68年メキシコシティー五輪は、1枠を争うアジア最終予選で引き分けた韓国に得失点差で上回って出場した。94年W杯米国大会はアジア最終予選で日本が韓国に勝利したものの、勝てばW杯初出場となるイラク戦のロスタイムに同点に追いつかれる“ドーハの悲劇”で、韓国が逆転切符を手にした。

切磋琢磨(せっさたくま)した時代もあった。ともに72年ミュンヘン五輪出場を逃した反省から、隣国同士で試合を重ねて強化をはかることで手を取り合い、ほぼ年に1度、日韓交互に会場を移した定期戦をスタートさせた。72年から91年まで続き、15回対戦した。その後、両国による02年W杯の招致合戦が激化したことなどから中断したが、96年に02W杯の日韓共催が決まったことで再び協調ムードが高まり、97年5月に親善試合が再開され、W杯最終予選などを含めて1年で5度の対戦が実現した。

特に日韓が同組となった97年のWフランス大会アジア最終予選の2試合は、日本サッカーの大きな節目になった。9月に東京・国立競技場で行われたホーム戦は、後半に日本が先制した後、守備的なメンバー交代が裏目に出て1-2で逆転負け。加茂周監督解任の発端になった。一方、負ければW杯出場が絶望的になる同11月のソウルでのアウェー戦では、岡田武史監督の攻撃的な采配で2-0で快勝。この勝利で勢いづいた日本は“ジョホールバルの歓喜”と呼ばれるイランとのアジア第3代表決定戦にも勝ち、初のW杯出場を勝ち取った。

今年3月25日の日韓戦は、54年以来実に77回目の対戦だった。昨今は政治的な対立が目立つが、あらためてサッカーの絆の強さに驚く。結果は日本が3-0で快勝して通算成績を14勝23分け40敗とした。そういえば中田英寿も、呂比須ワグナーも、小野伸二も代表デビューは韓国戦。昨日は代表デビューした山根視来が先制ゴールを決めた。韓国との戦闘は、新戦力の真価を問う試金石にもなる。しのぎを削る“絶対に負けられない”ライバルが隣国にいる。それは両国サッカーの進化の推進力にもなっているのだと思う。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

日本対韓国 試合を終え、タッチを交わす両選手たち(撮影・横山健太)
日本対韓国 試合を終え、タッチを交わす両選手たち(撮影・横山健太)