パラリンピックの13日間は楽しかった。単純にスポーツとして、見るべきものが多かった。もちろん、五輪も素晴らしかったが、ある程度は想定内。パラは時に想像を超えてきた。両大会で1カ月半、スポーツを堪能した。感動することもあったし、涙することも多かった。心は震わされた。

両大会を見た多くの国民も、ストレートに「どちらもおもしろい」と思ったはずだ。無観客だったのは残念だが、感染対策だから仕方ない部分はある。ガラガラのスタンドでは関係者やボランティアが選手に拍手を送り、盛り上げた。その光景も素晴らしかった。

五輪とパラは「1つの大会」として準備された。東京大会組織委員会は、初めてスポンサーなど収支も含めて1つになった。組織委も政府も都も「パラリンピックの成功なくして東京大会の成功なし」と言った。確かに、多くの場面で「1つ」が強調されていた。

ただ、本当に1つになるのは少し時間がかかりそうだ。トライアスロンなど一部を除けば、五輪とパラの競技団体は別。組織委では「国内競技団体協議会」を開いて「垣根」をなくそうとしたが、簡単ではない。協力体制がとれれば、強化や普及、日程面などもよりよくなると思うのだが。

メディアも同じだ。障がい者スポーツが厚労省の管轄だった時代は、社会部が担当で社会部の記者が取材することが多かった。今はどのメディアもスポーツ記者が取材している。ただ、各競技の担当記者が五輪もパラもという状況にはなりきっていない。まだ、五輪とパラには壁がある。

それでも、少しずつ「1つ」に近づいているようには思う。パラの5人制サッカーは今大会から五輪の11人制と同じユニホームを着て試合に臨んだ。東京大会が、五輪とパラがより強固な協力体制を築くきっかけになればと思う。

究極的には、パラリンピックは五輪と一緒になればいいと思う。五輪競技よりも人気が出そうなパラ競技もあるし、パラの選手の中には五輪選手以上に観客を沸かせる選手もいる。もちろん、いろいろな問題はあるはず。夢物語かもしれない。それでも、いつかパラリンピックがなくなって五輪と1つになれば「障がい者スポーツ」という言葉も今とは違った意味になるかもしれない。本当の意味での「共生」とは、そういうものなのではと思う。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

閉会式でフィナーレの花火が打ち上げられ、モニターには[ARIGATO]の文字が映し出された(撮影・山崎安昭)
閉会式でフィナーレの花火が打ち上げられ、モニターには[ARIGATO]の文字が映し出された(撮影・山崎安昭)