三原舞依(2018年12月21日撮影)
三原舞依(2018年12月21日撮影)

フィギュアスケート女子の三原舞依(19=シスメックス)は心の底から笑っていた。12月23日の全日本選手権(大阪・東和薬品ラクタブドーム)女子フリー。2シーズン目となった「ガブリエルのオーボエ」は全てのジャンプで加点を導き、優雅に、華麗に滑り抜いた。追い求め続けた天使の世界観から現実に戻った時、超満員の観衆は総立ち。拍手に包まれながら、全身でガッツポーズを決めた。

1カ月前、同じフリー後の「キス・アンド・クライ」では泣いていた。グランプリ(GP)シリーズ第6戦のフランス杯(グルノーブル)で、紀平梨花(関大KFSC)に次ぐ2位。帰国した関西空港でストレートに涙の理由を尋ねると「悔しさが89%ぐらいで…」と細かすぎる数字で笑いを取り「9割ぐらいで。後悔っていう文字がすごく残る試合になってしまった」と続けた。最終盤の見せ場だったステップにつながる3回転サルコー失敗に、モヤモヤが募る。だからこそ、全日本選手権後の「2018年で一番、いい演技ができたと思えた。少し緊張していたけれど『楽しもう』という気持ちや、感謝の気持ちが勝っていた」というコメントに力がこもった。

全日本選手権は例年に増して、ハイレベルな優勝争いだった。優勝した坂本花織(シスメックス)が228・01点、2位の紀平梨花が223・76点、3位宮原知子(関大)が223・34点。三原は最終的に220・80点の4位となった。

国際スケート連盟(ISU)非公認大会のため単純比較はできないが、ISU公認大会で今季、220点以上を記録しているのはわずか3人。それほどの高得点でも、三原は表彰台に立てなかった。心の中での悔しさは想像しかできないが「もっともっと、強くなっていかないといけない」という前向きな言葉が頼もしかった。

平昌五輪の代表落ちから立ち上がる1年。人知れず、小さな努力を重ねてきた。10月の全兵庫選手権ショートプログラム(SP)後には珍しい話を聞いた。「今日は最初のポーズを取ったときに『よしっ!』って思ったんです。始まったときにはボーカルの声が耳にすごく入ってきて、一緒に歌いながら滑れたので良かったです」。驚きのあまり、思わず「歌っていたの!?」と聞いてしまった。

今季のSP「イッツ・マジック」は、三原が「あまりやったことがない」というボーカル入り。今季国際大会初戦だった9月のネーベルホルン杯では、演技後半の3回転フリップ着氷後に「イッツ・マジック」という部分を口ずさみ、全兵庫選手権でジャンプ直前以外を歌いながら滑った。理由はこう明かしていた。

「曲調に自分の気持ちを乗せられるようにと思っています。気持ちも音楽に乗せると、お客さんに伝わることが変わってくる。今後もジャンプとかエレメンツの前は集中しなければいけないですが、それ以外のところで魅了できるスケーターになりたいんです」

全日本選手権でどうだったかは確認できていないが、スケーターとしてのこだわりを見た気がした。

個人的には1年前の全日本選手権後、新しい進化を遂げようと、チャレンジしている姿勢を見る機会が増えたように思う。18年1月の4大陸選手権(台北)では、2位となって登壇した記者会見で英語を用いた。通訳も同席していたが、あえて自分の言葉で思いを伝えようと努力していた。

「日常会話はある程度できるんですが、まだスケート用語がとっさに出てこないんです。でも(米国のマライア)ベルちゃんとかとも、英語があれば話ができる。大学生として英語を学んでいく上で、スケートの場でも使っていきたいと思うんです。海外の選手とも交流できるし、もうちょっと頑張りたいんですよね」

直接その現場を見られた訳ではないが、全日本選手権フリーで最終滑走だった坂本の逆転優勝が決まった直後、取材エリアのモニターに映し出された三原は同門の友をたたえるような笑みを浮かべ、静かに上位3人の待機場所を後にした。世界選手権(19年3月、さいたま)の代表は表彰台に立った3人に決まった。輝く舞台への小さな差。その距離をかみしめ、また小さな努力を積み重ねる強さが、三原にはあるはずだ。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。

三原舞依(2018年12月25日撮影)
三原舞依(2018年12月25日撮影)