これまでの記者人生で、最も意外な「優勝宣言」だった。日本勢の男女優勝で幕を下ろしたフィギュアスケートの4大陸選手権(米カリフォルニア州・アナハイム)。2月9日(日本時間10日)、時間は現地の午後11時を過ぎていた。

男子フリーで世界最高得点を記録し、ショートプログラム(SP)4位から逆転優勝した宇野昌磨(21=トヨタ自動車)は上位3人の記者会見に臨んでいた。

3選手による演技の総括から会見は進んでいく。シニアの主要国際大会を初めて制した宇野は、トップバッターとして口を開いた。その一言目を、取材する身として驚きながら聞いた。

「今日の感想は…終わった直後は『うれしい』という気持ちよりも『終わった』『やりきった』という気持ちだけが残り、1位という順位になれたことは、すごく素直にうれしいですけれども、世界選手権(3月、さいたま市)ではもっともっと練習した上での『優勝』を、目指したいなと思っています」

海外メディアも多く出席した公式の場で、誰に問われることもなく「優勝」という言葉を力強く発した。

平昌五輪シーズンだった昨季、すでに世界トップスケーターの1人でありながら、「五輪金メダル」を意識した発言はゼロだった。

1年前の2月7日、韓国・江陵の五輪会場で初練習した際には「どの試合でも練習してきたことを、悔いを残さずに出して、最後まで笑顔で終われたらなと思います」。銀メダル獲得から一夜明けた同18日の記者会見でも「多分家族のみんなは五輪で銀メダルを取ったことより、練習してきたことが出せたことに、すごく喜んでいると思いますけれど、まだ連絡はありません。連絡を返さないので、連絡が来ないんだと思います」と宇野にとっては本心をコメントし、笑わせた。

「天然」といった言葉が多く用いられたが、個人的には少し違和感があった。あくまで宇野にとって五輪は最後まで「自分のベストを出したい1つの大会」であり、それを貫いていた。

ところが1年後、世界選手権での優勝宣言が飛び出した。会見後、カメラのない取材エリアに立ち、その真意を明かした。コメントを切らずにそのまま記す。

「なんとなくです。特にこういった理由はないんですけれど、ま、その多分、僕が思ったのは、(4位だった)ショート(プログラム)が終わった後に出水先生(トレーナー)といろいろ話をしていて。いつもいろいろ話すんですけれど『4大陸が終わって、世界選手権で1位をとってほしいから、そのために今後どうしていくか』とか。ショートでの悔しい(感情)以前の話をいろいろとしていたので。出水先生にも『昌磨には世界選手権で1位をとってもらいたい。その方針で今年1年やりたいと思っていた』っていう言葉を聞いた時に、なんか『1位を取るっていうのが、そこで、自分のためではなく、みんなのため、他人のためになるんだな』っていう思い(になった)。で、『1位にこだわりたいな』って思ったのが、一番ですかね」

取材の数分後に偶然通りかかった出水慎一トレーナー(40)は、宇野の発言を伝え聞くと「本当ですか!? うれしいですね」とこれ以上ない笑顔を見せた。

「前向きな話はいつもしていましたけれど、この機会がタイミングいいかなと思って話はしました。『後悔したくないな』って思ったんです。自分でも過去に言わなかったから後悔したことがあったので、そこは言おうと思って。彼が(競技者を)終わった時に『良かった』って言ってもらいたいっていうのがすごくあって。(振り返った時に大舞台での)1位がないっていうのは、寂しいので」

宇野は17年5月から、出水氏と行動を共にする。平昌五輪切符をつかんだ全日本選手権(同年12月)後にはその関係性を「すごく助かっています」と口にしながら、体の変化については「ないです」と笑わせていた。後日、同氏にそのことを問うと「それでいいんですよ。こっちが言っているのは単なるヒントだから、気にする必要はないんです。トレーナーとしてもフィギュアは未知が多い世界。昌磨は特に氷と陸で別人になる。あくまで昌磨本人が、(演技を満足に)やり切れないといけないので」と語っていたのが印象深い。

張り詰めた空気の本番会場でも、6分間練習前はバスケットボールや、テニスボールでのキャッチボール…。これまで宇野のウオーミングアップは、楽しく体を動かすことが主だった。周囲の選手が「昌磨のアップ、楽しそう」と話しかけてくるほどだった。一方、出水氏は宇野と初めて出会った時から「21歳になった頃にはケガするな」とプロの目で予感していた。すでに21歳になっている宇野と、今季終了後に調整法を再考する予定だった。

結果的には、宇野自らが先にその必要性に気付いた。21歳の誕生日直後に行われた全日本選手権(18年12月)で右足首を捻挫。さらには、4大陸選手権までに同じ箇所を2度もひねった。宇野はこう明かした。

「3回同じ場所をケガした。これまでアップは『体が動けばいい』と思っていたので、いろいろなアップをしていたんですけれど、3回目にケガした時に僕も『ちゃんとアップをして、ちゃんとケアをしなければ治らないんだ』と思った。(今は)『アップっぽい』というか、『様になっている』というか…(笑い)」

氷へ上がる直前の最終調整に「遊び」は消えた。信頼する出水氏の指導の下で現在は約30分間、体を温めている。自分の考えに頑固なイメージが強い宇野だが、少しだけ例外がある。

「人のことは全然聞かないですけれど、自分が心を許した人とかは(言うことを)よく聞きますよ」

世界選手権の優勝宣言は、宇野と出水氏のベクトルがかみあった瞬間に生まれた。宇野は「心を許した人」の言葉に突き動かされた。宇野の性格を理解する出水氏はコツコツと信頼関係を築いた上で、結果にこだわる重要性を「彼が(競技者を)終わったときに『良かった』って言ってもらいたい」という心で発した。

2019年に入ってから、宇野のパズルにはウオーミングアップ改革、4大陸選手権優勝、世界選手権優勝宣言と新しいピースが次々に加わった。それが完成した時に一体、何を言うのか。そのコメントが、今から待ち遠しい。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)


◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。