米国育ちのスプリンターが「誰もいないのには、驚いた」と“洗礼”を浴びていた。5月17日、大阪市立諏訪小(同市城東区)。運動場に集まった6年生137人の前に立ち、陸上男子短距離のマイケル・ノーマン(21=米国)は自己紹介をした直後にこう尋ねた。

「この中で陸上競技をやっている人、いる?」

手が1本も挙がらなかった様子に驚きながらも「じゃあ、野球をやっている人?」「バスケットボールは?」「サッカーは?」と質問を続ける。頭上へと伸びる児童の手を見ながら「素晴らしいね!」「お~、いいね!」と反応すると「せっかくの機会だから、今日は陸上のことを学んでみよう。授業が終わったら、走ってみてね!」。約1時間の特別授業で、元気いっぱいの子どもとふれ合った。

陸上ファン以外にはなじみが薄いかもしれない、南カリフォルニア大の3年生。ノーマンのルーツには、日本が関わっている。理由は自己紹介の最初に、自ら「母が日本の(静岡県)浜松出身です」と明かした。

18年3月の全米大学室内選手権男子400メートルで記録した44秒52は、室内における世界記録。16年世界ジュニア選手権では200メートルで優勝し、世界から注目を集める存在となっている。母伸江さん(旧姓斉藤)は静岡・入野中時代の89年に100メートルで日本一。中学生女子初の11秒台となる11秒96を記録し、米国移住後にノーマンが生まれた。

そんなノーマンにとって、今回が初めての来日。19日にヤンマースタジアム長居で開催される「セイコー・ゴールデングランプリ(GGP)大阪」の200メートルに出場することが目的だが、同時に「母が生まれ育った文化を知りたい」という思いがあった。

「母からは『日本は夏はすごく暑くて、湿度も高くて過ごしにくいし、冬はとても寒いけれど、食はすごくいい』と聞いていました。僕はビーフカレーが好き。日本に来てまだ2日ですが、非常にいい印象です。どういうところか想像できなかったけれど、文化も食もリスペクトしています。まだホテルと競技場がほとんどで、観光はしていないので、これから大会以外の体験をしてみたいです」

現在はホテルの周りの散歩ですら「迷いそう」とちゅうちょしているそうだが、大会前日の18日には頼りになる母が大阪にやってくる。

「母が来たら、焼きたてのたこ焼きを食べたい。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにも行きたかったけれど…。大会が終わった月曜日の午前中は時間があるので、少し観光ができるかな」

日本滞在中の楽しみを口にする一方で、競技面では20年東京五輪への強い気持ちを抱いている。

「五輪の金メダリストになりたい。だいぶ近づいてきたと思っている。それに、屋外でも世界記録を達成するのが私の夢です。来年は(五輪に出たら)確実に母親も(日本に)戻ってくると思いますし、家族が日本で1つになる。人生最高の五輪になると思います」

足が速くなるフォームを実演しながら伝え、実際に横に並んで競争もした特別授業。打ち解けた児童からは、質問攻めにもあった。

児童 家にメダルは何個ありますか?

ノーマン う~ん、100個以上あるかな。

児童 えっ! すげえ!

目を輝かせる子どもたちを見つめながら、ノーマンは「学校に来るまでは、どんな展開になるのか分からなかったけれど、子どもたちは楽しんでくれて、期待をはるかに上回ってくれたよ」と穏やかに笑った。最後はゆっくりとした口調で、子どもたちに最も大事なことを伝えた。

「自分を信じてくれる人を大切にしてください。両親、友達、先生…。うまくいっている時も、うまくいっていない時も、支えてくれる人を大切にしてください」

ノーマンが日本開催のセイコーGGP出場を選んだ理由も、母の祖国への興味がある理由も、行き着くのは伸江さんを大切に思う気持ちなのだろう。金メダルを目指すのが東京五輪という巡り合わせも、何かの運命かもしれない。たった1度の取材でおこがましいが、1年後の新しい楽しみが見つかった。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。

大阪・諏訪小で特別授業を行った米国のマイケル・ノーマン(撮影・松本航)
大阪・諏訪小で特別授業を行った米国のマイケル・ノーマン(撮影・松本航)