新型コロナウイルスの感染拡大を受け、テレビの報道番組でJR渋谷駅前が映る度に、日本一有名な秋田犬(あきたいぬ)のことを思い出す。政府が東京都などに発令した緊急事態宣言以降、渋谷駅周辺を行き交う人々の流れはさらに減った。普段は待ち合わせ場所として、若者や観光客らでごった返す「忠犬ハチ公像」前も閑散とし、ハチ公がポツンとたたずんでいる。テレビでその異様な光景を見る度に、新型コロナウイルスの恐怖と脅威を強く感じる。

緊急事態宣言が出た翌日の今月8日は、「忠犬ハチ公の日」だった。ハチ公の命日は3月8日だが、忠犬ハチ公銅像維持会などが桜の開花に合わせて、1カ月遅れで制定した。多くの関係者らが出席する慰霊祭を毎年、像の前で開催し「渋谷のシンボル」であるハチ公像と渋谷の街の安全を祈願した。しかし、85回目を迎えた今年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて規模を縮小。静まり返った渋谷駅前で、首に献花の花輪だけが掛けられた。

ハチ公像はSNSなどを通じて、海外でも大人気だ。通行人がひしめき合って渡るスクランブル交差点とともに注目され、米映画「HACHI 約束の犬」(09年公開)などの影響もあり、ハチ公像を目当てに来日する外国人観光客も多い。観光庁によると、03年に521万人だった年間訪日外国人客数は、19年には約6倍となる3188万人まで増加した。ハチ公像に訪れる観光客も急増し、今では東京観光に欠かせない、世界的な観光スポットとなった。秋田犬「マサル」を飼う18年平昌五輪フィギュアスケート女子金メダルのアリーナ・ザギトワ(17=ロシア)も訪れてSNSにアップしたり、15年ラグビーW杯で南アフリカ代表主将を務めたジャン・デヴィリアス氏(39)も半年前のラグビーW杯時に、記念撮影の順番待ちの列に並んで、うれしそうに撮影していた。「日本での1つの目標を達成した」と言っていた。

さらに、ハチ公像は社会情勢を踏まえたPR活動にも一役買い、これまで多くの取り組みを行ってきた。胴輪(ハーネス)を着けて狂犬病予防に理解を求めたり、最新ファッションに身をまとって東京コレクションの開催を告知。選挙の際には、たすきや化粧まわしを着けて投票を呼び掛け、そのドレスアップする姿は毎回話題となる。

ハチ公は、死後85年たった今も多くの人々の心を揺さぶる。忠誠心が強く、飼い主だった東京帝国大(現東大)の上野英三郎教授の死後約10年間、渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けた実話は語り継がれ、世界中で知られている。しかし、現在の銅像が“2代目”で、戦争と深い関係があることは意外と知られていない。初代銅像は1934年(昭9)に建設されたが、太平洋戦争の金属供出で撤去され、溶解されて機関車の部品となった。2代目は「戦後復興と平和の象徴」として、終戦から3年後の1948年(昭23)に再建された。終戦記念日の8月15日に除幕式が行われ、後に社会福祉活動家のヘレン・ケラーも訪れて、隅々までなでた。

昨年10月、ラグビーW杯取材で来日していたフランスのレキップ紙の男性記者と回転すし店へ行った時、こんなことを言われた。

「(初の8強進出した)日本代表が躍進したのは、選手全員が自己犠牲の気持ちを強く持ち、チームへの忠誠を誓い、チームの勝利にために全てをささげていたからだと思う。それが、ジェイミー・ジョセフHCが掲げた『ONE TEAM』につながったんじゃないの。目標に向かってチームが1つになるためには忠誠心は必要で、他国には絶対にまね出来ないけど、日本はそれが出来る。今でも『ハチの精神』が残っているのかもしれないね」

映画好きのその男性は、スマートフォンを取り出して「東京での一番の思い出」と、ほほ笑みながらハチ公像との2ショット写真を見せてきた。すしを食べながらこの何げない言葉を聞いて、外国人からすると、侍の国である日本は、武士道精神を重んじ、忠誠心が高いイメージがあると強く感じた。

新型コロナウイルスが一足早く感染拡大した欧米の一部メディアでは、ウイルスとの静かな戦いを「戦争」と表現する。日本政府が発令した緊急事態宣言は、海外の「ロックダウン」(都市封鎖)とは異なり、外出禁止などの強制力を持たないが、不要不急の外出自粛などを強く呼び掛けている。世の中の人々の気持ちを反映するハチ公像もついにマスク姿となり、「外出自粛」を訴えているようだった。“コロナ戦争”とまで表現されるこの難局を乗り切るためには、今は「ハチの精神」である忠誠心が求められているのかもしれない。戦後復興の平和の象徴として再建された2代目ハチ公像も事態の早期収束を信じ、多くの方が再び渋谷の街に戻ってくることを願っているだろう。【峯岸佑樹】

ラグビーW杯開幕前に、ハチ公像と記念撮影する元南アフリカ代表のジャン・デヴィリアス氏(右)ら(撮影・峯岸佑樹)
ラグビーW杯開幕前に、ハチ公像と記念撮影する元南アフリカ代表のジャン・デヴィリアス氏(右)ら(撮影・峯岸佑樹)
ラグビーW杯日本大会を盛り上げるハチ公像(撮影・峯岸佑樹)
ラグビーW杯日本大会を盛り上げるハチ公像(撮影・峯岸佑樹)