この冬、日本最高峰の舞台に立てたのは長男だけだった。全日本選手権男子フリー。関大4年の本田太一(22)は4分間の演技を終え、目を閉じ、柔らかい笑顔を見せた。来春に大学を卒業し、就職のため引退する。最後の全日本はフリー22位の110・01点を記録し、合計177・87点で19位。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)転倒など苦しんだが、全てを出し尽くした自信があった。

「最後はジャンプとかではなく『この空気を味わいたい』と思いました。最後まで気持ちは切らさなかったつもりですし、僕の今の限界かなと思います」

目を真っ赤に腫らすと、妹たちを思い浮かべた。

「何を残せたか…。いろいろ残したつもりではありますけれど、本人たちに伝わっているか分からない。2日間の僕の演技が(思いの)全てかなと思います」

3人の妹にとって、20年は苦難の1年になった。前日25日には元世界ジュニア女王の真凜(18=JAL)がめまいで倒れ、今大会を棄権。女優と両立する望結(16=プリンスホテル)は東日本選手権でフリーに進めなかった。全日本ジュニア選手権を目指した末っ子の紗来(13=大阪・関大中)は、近畿選手権で16位。西日本選手権へ進めず「お兄ちゃんの引退のシーズンで気持ちが入りすぎてしまった」と涙した。そんな妹の姿に、兄は「スケートが好きな気持ちを取り戻してほしい」と心から願った。

原点は京都の自宅近くにあったリンク。5歳でスケートに出会うと、隣に2歳だった真凜がいた。世界ジュニア選手権を制した妹に対しても、時に厳しく指摘する兄だった。18年に米ロサンゼルスに渡り、ラファエル・アルトゥニアン・コーチに師事。時差の影響で日本の家族や友人と連絡が制限される中で「同じきつさが真凜にもあった」と環境の変化による悩みを語り合った。そんな兄の存在に、3人の妹は支えられた。

ジュニア時代に転戦した国際大会も、近年は遠い存在だった。それでもきょうだいだけでなく、先輩、後輩問わず慕われ、本田の周りには笑顔の仲間がいた。

10月初旬、兄は言った。

「望結と紗来が生まれた頃から、僕はスケートをしている。スケートをしていない兄を知らない。妹に心配はしていないけれど、もしかしたらそういうところで崩れてしまうかもしれない。妹たちがこれからも頑張れるよう、しっかりとした演技、練習している姿を見せられたらと思います」

思いは、2日間の演技に刻み込んだ。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)