チャレンジスクールの稔ヶ丘高の生徒は、文化祭での出し物として集団行動を巡り話し合いをはじめる。意見は一致しない。2部の2年を担当する先生も深くかかわりながら、大きなチャレンジを前に生徒のとまどい、模索は続く。(取材、文=井上真)

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 日体大の集団行動に所属する西野は3月、20人のメンバーを引き連れて稔ヶ丘高で実演した。これがきっかけで熱血漢、柳本先生には抑えきれない衝動が湧く。

 「文化祭でやりたい」

 その考えの根底にあるのは「主役になったことがない子供たちに、人生初の大歓声を経験させてあげたい」という思いだった。

■真逆ジャンルへの挑戦

 2部の2年生を受け持つその他3人の先生も同じ方向を見ていた。日本史の栗田恵先生(29)はこう表現した。

 栗田先生 生徒たちが、集団行動に取り組むということは、真逆のジャンルへの挑戦です。運動も、集団も、生徒からすれば真逆なんです。4クラス合同80人規模で、文化祭で単一のものに取り組むのは、演劇はありましたが、スポーツ系ははじめてでした。

 5月から、各々のクラスで文化祭の出し物を話し合い出した。柳本先生を中心とした教諭チームは「集団行動」が念頭にあった。

 17歳の生徒は、すぐに先生たちの思惑を見抜く。

 「先生が決めたことをやりたくない」

 「日体大の学生だからできる。自分たちにはできない」

 「いいじゃん、やってやろうよ」

 「私たちならできる」

 否定派、肯定派の意見が入り乱れる。話し合いはまとまらない。

 集団行動へ踏み切りたい数人のリーダーたちと、自分の意見を明確には言わないが、心の中ではやりたくないと思っている生徒が複雑に入り交じり、クラスとしての意見は集約できない。

 先生たちは、ブレーンストーミングや、コーピングリレーションを駆使して、持久戦に持ち込む。

 「ブレーンストーミング」とは、あるテーマについて、自由な雰囲気の中でアイデアをどんどん出していく手法。批判は禁止だが、人の意見に便乗することも含めて制約はなく、質よりも量という考え方。

 「コーピングリレーション」とは、ストレスを軽減する方法を自分で考え、人に自分の考えをどうやったらうまく伝えることができるかを学ぶこと。

 これらの手法を使い先生たちは、生徒同士が活発に話し合う環境を維持しようと心掛けた。

 化学の中内洋勝先生(30)の狙いは具体的だった。

 中内先生 議論は集団行動への反対からのスタートでした。私たちは生徒が自分たち自身の言葉で『集団行動をやるよ』と言うには、どうしたらいいかを考えました。本人たちが言い出せば、やり抜く原動力になるのでは、と考えたからです。

■「個性的」2部の決断

 稔ヶ丘高は1部、2部、3部の生徒で構成される3部制を採用している。美術の板橋今日子先生(47)は2部の2年生を「素直でまじめです」と、前向きに捉えている。一方で当の生徒本人たちは、迷わず本音で切り込んでくる。

 渡邊 1部は普通科と同じ感じです。ハキハキしてます。3部は生徒の数も少なくてアットホームな感じですね。2部は個性的というか、中途半端というか。パットしない。

 その2部の2年生が、大きな決断をしようとしている。決まりそうで決まらない。職員室でリーダーと先生が何度も話し合う。

 集団行動ができない理由を、周囲へ責任転嫁する生徒も散見された。

 経験したことがない未知の世界への恐怖。これまでの日常から180度違うことへの挑戦に、どうしても1歩が踏み出せない。やり抜けないだろうという不安は、責任をまっとうできない、という言葉に変わる。どうして、不安に思うものを、文化祭でやるなんて決断できるのか。

 「責任」の解釈を巡る激しい議論の中で、栗田先生は明確なフレーズを口にした。

 栗田先生 自分の責任って言うけど、それはここにあるんじゃないかな。

 この場所に来て、今言えるだけの意見を、自分の言い方でみんなに伝えること。それが各々が果たすべき責任ではないか。栗田先生の言いたいことは少しずつ生徒に伝わっていく。

 「責任」という言葉は抽象的で、大人が使いたがる便利な単語だが、必死になっていた栗田先生は自分の言葉に置き換えて生徒に訴えた。

 無難な選択をしたい欲望と、練習する場所や話し合う場所に行きたくない不安な気持ちに負けないで、約束を守るためにみんなの元へ集まること。そして、心にある考えを披露すること。

 文化祭の出し物を、集団行動にするか、しないかではなく、決める過程で自分の意見を言うこと、その議論に参加すること、それがまずは求められる責任だった。この時、はじめて2部の2年生にも具体的なビジョンが見えたのではないか。「責任」という概念が可視化され、集団行動に大きく踏み出した瞬間でもあった。

 そんな2年生の先生、生徒たちの真剣勝負の様子を見たある先生のつぶやきも印象的だった。

 「チャレンジスクールの価値観が変わる。この学校の革命と言える」

 生徒たちが不得意とする領域、まさに真逆の分野への挑戦は、無謀だった。成否にかかわらず、生徒が自主的、かつ情熱を失わずに取り組むかどうか。それが非常に大切だった。

 その躊躇を超え、1歩外へ踏み出してしまえば、それはチャレンジスクールの新しい1ページになる。可能性は広がり、それが新しいエネルギーにつながる未来予想図が描けた。(つづく)