14年ソチ、18年平昌の両五輪で金メダルに輝いたフィギュアスケート男子の羽生結弦(27=ANA)が、ついに覚悟を決め。新しい年、2022年を迎える。昨年末、2月4日に開幕する北京五輪代表に決定。1928年サンモリッツ大会のギリス・グラフストレーム(スウェーデン)以来、実に94年ぶりとなる冬季五輪3連覇を目指すと初めて明言した。世界初のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)成功という夢も追う運命のショートプログラム(SP)は2月8日、フリーは同10日に行われる。

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沸騰するように、羽生の言葉が力強さを増していった。まだ記憶に新しい、北京五輪代表に決まった昨年12月26日の全日本選手権。五輪へ、「3連覇の権利を有しているのは僕しかいない。また夢の続きを描いて、前回、前々回とは違った強さで臨みたい。4回転半という武器を携えて優勝を狙います」と断言した。

日本選手団ジャージーに袖を通し「勝ちにいかなきゃいけないんだな」。一夜明けた27日には「発表会じゃないんですよ。やっぱり勝たなきゃいけない場所なんですよ」と五輪の位置付けを明確にし「だからこそ、また強く決意を持って絶対に勝ちたいなと思いました」。

この4年間の最後の最後に、一気にギアが入った。66年ぶりの2連覇を達成した平昌五輪後は「夢がかなった実感がある。モチベーションは4回転半だけ。取るべきものは取った」と満足した。19年オータムクラシックでは「そのままやってたら(北京五輪に)出ます」と言いつつ「猛烈に出たいとか猛烈に勝ちたい気持ちじゃない」と言った。

さらにはコロナ禍で火が消えかけた。1年前の20年全日本後は複雑な胸中を打ち明けていた。「東京(夏季大会)すら開催されていない現実がある。北京を考えてはいけないというリミッターがかかってシャットダウンしている」。今夏のアイスショーでも冷めたままだった。「平昌の前みたく『絶対に金メダルを取りたい』という気持ちは特にない。平昌、ソチの時みたいな熱量はないかな」と。

一時は暗闇の底に落ちてスケートすることに罪悪感もあった。3回転半すら跳べなくなった。それでも夢の4回転半を追う中で再起動した。「皆さんが懸けてくれている夢だから」。12月21日、あと4分の1回転で成功まで進歩。6日前のフリーでは試合で初めて4回転半を投入した。ダウングレード判定で記録上は3回転半だったものの、未到の領域に足を踏み入れた。

「2連覇を失うことは確かに怖い。負ける確率の方が平昌の時より高いと思うし。今のところは」と自覚する。一方で「僕、たぶん今、一番うまいです」の自負もある。北京へ「4回転半にGOE(出来栄え点)プラスを付けたい」。今回は減点され「4・11点」にとどまったが、成功すれば「12・50点+α」が待つ。2連覇が消える時は約1世紀ぶりの3連覇に塗り替えた時だ。運命の男子フリーまで40日。覚悟を決めて最終鍛錬に励む。【木下淳】