車いすテニス男子で、パラリンピック計4個の金メダルを獲得した国枝慎吾さん(38=ユニクロ)が7日、現役引退会見に臨んだ。所属先であるユニクロの柳井正社長も同席した。一問一答は以下の通り。

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-引退を決意した時期は

「東京パラリンピックが終わってから、ずっと考えていた。昨年、最後に残されていたウィンブルドンのタイトルを制したとき、実は芝生のコートの上でいちばん最初に出たのが『これで引退だな』という言葉。全英オープンはグランドスラムがかかっていたのでそのままのモチベーションでいけたが、全米が終わり『もうやりきったな』と、ふとした瞬間に口ぐせのように出てしまった。これはこういうタイミングなのかなと思い、決意した」

-競技人生1番の思い出は

「1番といえば、東京パラリンピックでの金メダル。パラリンピックは04年アテネ、08年北京、12年ロンドン、16年リオ、そして21年東京と出場したが、それぞれが僕の中で転機になった。すべてのパラリンピックに思い出はあるが、開催地が東京に決まった13年から8年越しの夢がかなった瞬間はいまでも鮮明。その写真をみれば震えるような感情になる。それぐらいの思いが詰まった金メダル。東京パラリンピックはいちばんの集大成になった」

-今後の活動について

「現役中から、柳井社長に『終わったら何やるんだ』『一緒にビジネスやろうぜ』とよくお声をかけていただいていた(笑い)。でも現役中は引退後のことを考えても現実味がなかった。お風呂入っているときに20分ぐらい考えてはみるけれど、答えが出ない。引退発表から約2週間が経ち、なんとなく、自分の中でぼんやりと出てきた。でもそれをいま言ってしまうと、それをやらなきゃいけない感じもするので、心の中に秘めておきたい」

-現役時代には、どんな意識でいたか

「1つは相手と戦うこと、そして自分との戦い。もう1つは車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに見せられるかというところにこだわってきた。車いすテニスの管轄は国際テニス連盟で、健常者と障がい者の垣根がないスポーツ。自分がテニスをするなかで、そのことを皆さんに知ってもらいたい思いは強くあった。その活動は今後も続いていくのかなとは、ぼんやりと思っている」