5月23日。亜細亜大学の寮のロビーには、こんなボードが掲げられていました。

 「日大戦まであと1日  入れ替え戦まであと21日」

マネジャー手作りの日めくりカレンダー。選手の誰もが目にできる場所に置いてあります
マネジャー手作りの日めくりカレンダー。選手の誰もが目にできる場所に置いてあります

 4月6日、東都大学野球リーグ春季リーグ戦、初戦の国学院大戦に2連敗した日の夜、マネジャーが作ったというこの日めくり。もう一度、0からのスタート。入れ替え戦までの約2カ月後まで、勝てるチームになるために強くなろう。選手たちはこの日の夜、みんなでそう誓いました。

 「覚悟」を決めた夜。以来、選手たちは練習でも、試合でも、常に「攻める」ことを課題に戦ってきました。

 国学院大戦の後。私は、練習を見にグラウンドに行った時、こんな光景を目にしました。

全体練習も終わりにさしかかった夕暮れ時。バッティングケージに1人残ってバッティング練習を続ける正随優弥君(内野・2年)の姿でした。

 初戦の国学院大戦では4番で出場も8打数1安打。大きい1本を打とうとするために、ボール球に手が出ては、大振りになり体が開く。みんながつないでくれたチャンスの打席で、ことごとく凡打に終わってしまいました。

 この日の練習でも、体が開き逆方向(右)へ打てない。

 「正随、もう終わろうや、なぁ。できないんだから意味ないだろ?」と、生田監督が言っても、「もう1本―っ!」とバッティングピッチャーに向かい、バッティングを止めませんでした。

 隣で打っていた選手に、ピッチャーや他の選手たちも全ての練習メニューが終わり、正随君の練習が終わるのを待つだけに。

 いつしか、選手たちが周りを囲み、「正随~!」「いけ~!」「頑張れ~」チーム全員で声をかけ始めました。その中で、必死にボールに食らいつく正随君。でも、何度バットを振っても体が開き左方向へ。なかなか思ったバッティングができませんでした。

チームメート全員が見守る中でバッティング練習をする正随君
チームメート全員が見守る中でバッティング練習をする正随君

 広い球場でたった1人のバッティング練習。チームメートが自分の練習が終わるのを待っている。でも、思う通りに打てない。もどかしかったでしょう。苦しかったでしょう。きっと…逃げ出したかったでしょう。見ている方までも、胸が苦しくなりました。

 この、たった1人のバッティング練習は20分も続きました。

 「監督に“止めろ”って言われて止めたらダメなんです。ここで逃げたら、いつかまた違うことでも逃げてしまうと思うんです…」(正随君)

 自分のせいで練習が遅くなってみんなに申しわけない…。そう下を向いていると、練習後、同級生、先輩たちが次々と声をかけてくれたそうです。

 「俺も、そういう時期があったから。頑張れよ」

自分に負けない。今は弱い自分と向き合い、たくましく生まれ変わるときなのです。

 その後も毎日練習を重ね、中央大戦からは打順を7番に落としたものの、少しずつ感触をつかみ2戦目では右方向へ三塁打。専修大戦ではしっかりと打球をとらえホームランに。今シーズン、3割2分3厘の成績を残しました。

 「春は、野球をやりたくないなぁと思う時期もありました。でも、周りの人たちの存在が大きかったです。入学した時に比べたらちょっとは強くなったかなぁって思います」

 大阪桐蔭では4番バッターとして甲子園優勝を経験し、大学でも1年から公式戦出場を果たした正随君も、陰ではこんな努力があっての優勝だったのですね。

左から妻鹿聖君(内野・4年)、正随君、諏訪洸君(投手・4年)正随君を支えてくれた4年生です
左から妻鹿聖君(内野・4年)、正随君、諏訪洸君(投手・4年)正随君を支えてくれた4年生です

 正随君だけでなく、国学院戦後の名古屋遠征では、練習で手を抜いた山田義貴君(投手・4年)と、怒られている山田君を思いやらなかった水本弦君(外野・4年)のユニホームを生田監督が引きちぎり、2人はその夜、100円ショップでソーイングセットを購入。見よう見まねでボタン付けをして翌日の試合に出場…なんてことも。選手たちが、自分自身ととことん向き合い、そして、チームメートが見捨てずにその心を支える。

 こうして、生田監督の荒治療は、チームをより強く生まれ変わらせたのでしょう。

 先日、阪神に入団した板山選手がこんなことを言っていました。

 「大学時代は本当によく生田監督に怒られました。でも、怒った翌日には必ずチャンスをくれる。愛がある感じがするんです。先日、初ヒットを打った時も、お立ち台に上がった時も、テレビを見ていてくれて、“おめでとう”って連絡をくれて、本当にうれしかったです」

 生田監督と選手たち。「2カ月後、強くなろう」と0から始まったこのチームが1つ1つ壁に当たり成長してきた日々。

 「優勝はできましたが、まだ胸を張って優勝できたという力はないと思うんです。これから先もまだまだ危機感をもって、試合を重ねるごとに強くなっていきたいと思います」と、試合後の記者会見で話した主将の水本弦君(外野・4年)。

 優勝を決めたこの日。寮に帰った選手たちはすぐにグラウンドや室内練習場へ。水本君は、バッティングマシンに向かい、この日の試合で失敗したバント練習をしていました。勝ってもなお、さらに上を目指す。これが今の亜細亜大の強さ。そして、まだまだ強くなる。大学選手権ではどんな野球を見せてくれるのか。楽しみになりました。

左から法兼駿君(内野・4年)、宗接唯人君(捕手・4年)、水本弦君(外野・4年)。弱いと言われたチームを優勝に導いた4年生です
左から法兼駿君(内野・4年)、宗接唯人君(捕手・4年)、水本弦君(外野・4年)。弱いと言われたチームを優勝に導いた4年生です
左から最優秀殊勲選手の山田義貴君(投手・4年)、最優秀投手、ベストナインの中村稔弥(投手・2年)、ベストナインの法兼駿君(内野・4年)。笑顔の受賞でした
左から最優秀殊勲選手の山田義貴君(投手・4年)、最優秀投手、ベストナインの中村稔弥(投手・2年)、ベストナインの法兼駿君(内野・4年)。笑顔の受賞でした