気象庁によると、7日午後11時32分ごろ、宮城県北部と中部で震度6強の地震が起きた。同じ日の夕方、プロ野球の楽天は、関西から山形経由で3月11日の東日本大震災発生後初めて本拠地の仙台入りした。星野仙一監督(64)は、田淵ヘッド兼打撃コーチ、佐藤投手コーチとともに、避難所となっている仙台市若林区の六郷中学校を訪問。早速、地元の人々を励ました。壇上では「まもなくペナントレースに入る。必ず皆さんに、いい報告をする」。優勝して恩返しを約束した。

 避難所となっている六郷中の体育館に着くと、待っていたのは「星野監督!

 お帰り!」の年配女性の声だった。星野監督はあっという間に子どもたちに囲まれた。あちこちから差し出される色紙に「夢」と書き、みんなの手を握りながら、体育館へ入った。

 大きな段ボールに囲まれ身を寄せ合う約200人から、温かい拍手をもらった。壇上に上がると「1日でも早く戻りたい気持ちでいっぱいでした。遅くなって、本当にすいませんでした」と、深々と頭を下げた。そして大きく息をつき、大きな声で、強い言葉を並べていった。

 星野監督

 我々は(来週)火曜日からペナントレースに入る。春から夏、秋と戦っていく。必ず皆さんに、いい報告をする。球場に来たいと思うときが来たら、伝えて欲しい。必ずかなえます。

 就任会見で「東北を熱くする」と述べ、監督の職に就いた。優勝で約束を果たす。

 特に伝えたいことが1つあった。ゆっくりと小さな瞳を見渡した。復興には時間が必要。将来、若い力が必要だと訴えたかった。

 星野監督

 頑張れ、強くなって、とは言いたくない。特に若い人たちに言いたい。この時をしっかりと我慢して、耐えて下さい。私の経験からすると、耐えれば必ず、強い人間になれる。特に子どもたち!

 負けるな!

 しっかり頑張ろう!

 かわいらしい「は~い」の合唱で終わった。田淵ヘッドは「皆さんの顔を見て、逆に勇気をもらった気がする。監督の言った通り頑張ろう。優勝のために頑張る」。佐藤投手コーチは、オリックス時代に阪神・淡路大震災を経験した。故郷の北海道・奥尻島も北海道南西沖地震で大きな被害に遭うなど、痛みを知っている。「今は言葉はないです。これからだ。勇気を出していこう」と言って泣いた。

 仙台に戻る前、星野監督には一抹の不安があった。「どう立ち居振る舞えばいいか、正直分からないでいる」と「初めての経験」に戸惑いはあった。甲子園球場で練習を終えるとジャンパー、ジャージー姿で移動。そのまま避難所へ向かった。手を強く握り、痛いくらい強くハイタッチを返した。純な気持ちを体いっぱいで表現するだけだった。

 伊丹空港の出発ゲートではこう言った。「この日程が決まった時点で思った。長い文章の『。』なんだよ。我々が仙台に行くということは」。遅い帰還をわび、みちのくを励まし、初めてのシーズンに入る。優勝を約束する。未知の困難に立ち向かって、みんなで勝つ。「けじめ」をつけに仙台に来た。【宮下敬至】