<ヤクルト7-3中日>◇6日◇神宮

 中日の谷繁元信捕手(42)が、捕手3人目となる2000安打を達成した。ヤクルト7回戦の6回に押本から右前打を放ち、プロ野球史上44人目となる快挙を達成した。42歳4カ月での到達は宮本(ヤクルト)の41歳5カ月の最年長記録を塗り替え、2803試合目での達成は中日などでプレーした大島の2290試合を抜き最も遅いペースとなった。史上最低打率での到達は、捕手道を歩み続けてきた男の勲章だった。

 スタンドの「谷繁コール」が鳴りやまない。誰よりもヒットを防ぐことを考え続けてきた男が、バットで超一流の仲間入りを果たした。4回に1999本目となる2点二塁打を放ち、続く6回だった。無死走者なしから、ヤクルト押本の133キロスライダーを捉え、一、二塁間を破った。

 谷繁

 ああ、打ったんだなと。何か感じるかなと思ったけど、いつもと一緒だった。チームが借金8になったから、そっちの方が悔しい気持ちもある。

 スタンドには、両親とともにこの日9歳の誕生日を迎えた三男朗(ろう)君の姿があった。この日自宅を出発する際、Vサイン(あと2本)で送り出された。「プレッシャーをかけるなよ」と苦笑いだったオヤジが、かっこいい姿を見せた。試合後には「2000安打おめでとう!」と書かれた色紙を手渡され、父親の顔に戻った。

 通算打率2割4分台は通算2000安打以上の選手では最低の数字だ。25年のプロ人生で安打を刻み続け、「打てるなんて1度も思わなかった」数字に達した。これまでで最も遅かったペースより513試合も費やし大台に到達した。

 谷繁

 (捕手では)過去に野村さん、古田さんの2人しかいない。3人目ということを考えると、よくやったんじゃないかな。常に7、8番を打っていて、クリーンアップを打ったわけじゃなく、こつこつやった積み重ねだと思う。

 7割の動きができればケガじゃない-。大洋に入団して4年目。ある試合を休んでからまったく使われなくなった。「プロ野球をなめていた」。休むことは敵に隙を与える。休むことはチームのライバルにも隙を与える。目の色が変わった。「ちょっと痛いから休むというのはオレには分からない。ちょっと痛くても出ながら治していく」。42歳になった今でもブレない。今季は開幕直後に右ももを痛め、それをかばって4月7日巨人戦で左ももを痛めた。今でもユニホームの下には両足にテーピングが施されている。

 「野球選手は孤独。誰も助けてくれない」という信念を持つ。投手に対して修正点などは指摘するが、優しい言葉をかけることはしない。用具へのこだわりも息の長い選手生命を支えてきた。スパイクは走りやすさより守備で打者のファウルから足を守ることを重視し、硬い素材を使用している。自らへの厳しさを貫いて大台到達を成し遂げた。

 勝敗に直結するポジション。97年以降、所属チームが16年連続Aクラス入りしたことが何よりも誇りだ。「こういう状況だけど、最後まで戦う姿勢を貫きたい」と、自身の記録よりチームの成績を第1に考える。2000安打までに誰よりも費やした多くの時間。その長い道のりは、谷繁への信頼の証しだった。【桝井聡】