新日本プロレスの顧問・山本小鉄氏が28日午前6時42分、低酸素性脳症で死去した。68歳だった。新日本プロレスが29日、公式サイトで発表した。関係者によれば、長野・軽井沢で倒れ、呼吸困難の状態となったまま帰らぬ人となったという。通夜・告別式は親族、関係者のみで行われる。

 山本さんは1941年(昭16)10月30日、神奈川・横浜市に生まれ、63年1月に日本プロレスに入門。星野勘太郎とタッグチーム「ヤマハ・ブラザーズ」を結成し、活躍した。72年3月には新日本プロレス旗揚げに参加。80年4月の現役引退後、コーチとして後進の指導にあたり「鬼軍曹」と呼ばれる熱血指導で数々の名選手を輩出。またプロレス中継のテレビ解説者としても活躍していた。