午後1時の試写会や記者会見が最初の仕事ということが多いので、昼すぎの電車に乗ることになる。ラッシュアワーにもまれる人たちには申し訳ない優雅な通勤である。

 車内にはお年寄りや就学前のお子さんを連れたお母さんたちが多く、たいてい座れる。貴重な読者タイムにもなるので、先日も文庫本を開いていた。隣は3、4歳と思われる男の子と母親。男の子はラミネートのパックからあめ玉状のものをつまんでいる、のが横目にぼんやり見えた。

 と、その子の「あっ」といった声から一拍おいて、アキレスけんからくるぶしに違和感を覚えた。履いていたワラビーシューズは、座ると足首の後ろに和服の奥襟のような隙間ができる。

 慌てて人さし指を入れたが、それはかかとの裏まで滑り込んでしまった。指先が触れるとゴムのような弾力がある。「グミ」と呼ばれるソフトキャンデーだ。仕方ない。靴紐を解いて取り出す。異変に気付いた母親が小さい声で「すいません」という。悪気がないと分かっている。「いえ」と会釈する。

 つまみ出すとそれは紫色だった。グレープ味に違いない。さて、車内での始末に困る。と、母親の手のひらがすっと差し出された。反射的にそこに乗せる。

 気付くと降車駅だった。再び会釈して立ち上がると、今度は母親が「あっ」と声を上げた。電車を降りながらさりげなく、そちらをうかがう。グレープ味が好きなのだろう。その子が母親の手のひらから素早く食べてしまったのだ。

 言いたいことはあるはずだ。「汚い!」「出しなさい!」。さらには口をこじ開ける強硬手段にも訴えたかったろう。が、母親は息を殺したように子どもを見つめている。そんな言動が「被害者」の立場にある私に追い打ちを掛けることを気遣っているのだ。何という奥ゆかしさだろう。「毒じゃないから…きっと」。一抹の不安を飲み込んだような顔から、心の声が聞こえてくるようでもあった。

 その足で見に行った試写会では、この心温まる? 出来事とは対極にある映画を見ることになった。M・ナイト・シャマラン監督の新作「ヴィジット」(23日公開)。

 複雑な事情から、それが初対面となる祖父母を訪ねた姉弟が、2人から人間の最も恐ろしい一面を見せつけられる。シャマラン作品の常として、何を書いてもネタばれになってしまうので詳述できないが、「家庭内ホラー」には大いにハラハラさせられた。

 シャマラン作品では、ブルース・ウィリス主演の「シックス・センス」(99年)には、気持ちいいほどにだまされた。が、その後はもうひとついただけなかった。結末が早めに想像できたり、どんでん返しの後も「な~んだ」とすかされた気持ちになる作品が多かった。が、この新作は「人間の怖さ」がじわりと染みる怪作だった。

 通勤電車と試写室で対極の人間性に接した不思議な1日だった。【相原斎】