3月に亡くなった桂米朝さん(享年89)の90回目誕生日にあたる11月6日に、かつて一門会などを定期開催してきたゆかりの京都・南座で、追善落語会が開かれることになり、10日、大阪市内で発表された。一門の桂ざこば(68)、長男の桂米団治(56)が取材会に出席した。

 米団治は「南座より古い米朝は生きてたら、ちょうど今年90歳。ずっと一門会などでお世話になってきました。追善ではありますが、お祭りのようににぎやかにしたい」と話した。

 江戸時代から存在した「南座」は、明治に入り松竹直営となり、1929年に現在の南座が開場した。歌舞伎を中心に上演されているが、米朝一門では一門会のほか、襲名興行や、97年には一門で任〓(人ベンに峡の旧字体のツクリ)(にんきょう)芝居「海道一の男たち」も上演してきた。

 ざこば、米団治によると、米朝さんは「芝居小屋で落語会、一門会をやらせてもらえて、ありがたい」と話していたといい、ざこばも「米朝いう名前があったから、やれたこと」と、人間国宝だった師匠の偉大さを痛感している。

 その米朝さんが最後に南座へ出演したのは、2011年2月19日の桂塩鯛襲名披露公演千秋楽。すでに高座を引退していた米朝さんは、体調が整ったため、飛び入り出演し、あいさつに列席した。米団治は、そのときの状況を克明に覚えているという。

 「あのころ、もうまだらボケで、家出てから劇場着くまで、5分ごとに『今日は何や?』言うて。いざ、緞帳(どんちょう)が上がる瞬間にも『今日は何や?』ですわ。でも、いざあいさつとなって、米朝が話し始めて『都丸(塩鯛の前名)が…』と、そこで止まったんです。塩鯛いう名前が思い出せんかったんですけど、兄さん(ざこば)が泣くもんやから、客席も感極まって言葉が詰まったと勘違いして、お客さんも大泣き。感動の涙でした」

 ざこばは当時を「ちゃーちゃん(米朝さん)が、朝丸をざこばに(自身の襲名)にしてくれたときとか、思い出して…」。感激屋だけに、感動がすぐ涙に変わったのも無理はない。

 米団治によれば、米朝さんは、最後まで「塩鯛いう名前、覚えられんかったと思う」そうだが、それでも「あんなに感動に包まれたあいさつは経験がない」。一門にとって、米朝さんの重み、すごみを再認識させられた舞台でもあった。

 その南座での追善興行は、一門が米朝さん直伝のネタを披露。米団治は「踊りでも何でも覚えとけ」と、30代のころに指導された「寄席の踊り」を桂米二と演じ、ざこばは「笠碁」を予定している。

 また、兵庫県尼崎市の米朝さん宅には、無数の貴重な資料があることから、将来的には一般公開も視野に入れ、整理を始めているが、米団治は「まだ整理が追い付かず、形見分けもできていない状態。今年中にはと思っていますが、遅くとも1年後の命日までには」と話した。