交通事故で27日に急死したお笑い芸人テント(享年65=本名・三浦得生)さんの葬儀が30日、大阪府八尾市内で営まれた。若手時代から親交のあった芸人仲間が、鬼才と称されたテントさんの生きざまを語った。

 桂花枝(かつら・はなし)の前名時代からイベントをともにしてきた桂あやめ(52)は、漫談家にとって生活の糧になる司会業を受けなかったテントさんが口にした、その理由を明かした。

 「テントさんは『俺は司会業はパッケージ、包み紙やと思う。僕はいつも外側やなくて、中身でありたいんや』と言っていた」

 あくまでも芸人の本業は芸を見せることだというポリシーからテントさんは、ピン芸人にとっての収入源でもある司会業、イベント進行役などの仕事を受けなかったという。

 あやめは82年に故5代目桂文枝に入門したが当時の上方落語界は、故桂米朝さんが女性の弟子を一切取らなかったこともあって、女性落語家は非常に少なかった。活動そのものが苦しい中、支え、励ましてくれたのがテントさんで、そのポリシーに感銘を受けたと話す。

 「ただ、普通はやっぱり生活があってのことやから。テントさんのようには、やりたくてもできない。兄さんを支えた家族、師匠も立派やと思う。ほんま、かっこいい先輩やった」

 無理に露出を狙わず、芸を磨いたテントさんにあらためて思いをはせたあやめは、一方では「あんな手のかかる先輩、おらんかった」とも振り返った。

 「ソフトクリーム食べるのも、ボロボロこぼしてね。何をするのも、誰かが世話せんとあかん人。偏食で野菜は絶対食べへんし。でも、お好み焼きは好きで『キャベツの嫌い度が、お好み焼きの好き度より低いから』とか言うてね」

 つかみどころのない芸風と、プライベートも同じようだった。

 そんなテントさんに、あこがれたのは弟弟子にあたるぜんじろう(48)だった。若いころ、ぜんじろうが一般の人とケンカになったことがあったという。そのとき、止めに入ったのがテントさん。「わーって、手を出して(仲裁に)入ってきたんですけど、そのときの手指の先が恐竜みたいな(曲げた)状態で。あの風貌で。相手も、それで笑ってしまって、ケンカは終わりました」と明かした。

 また、ぜんじろうは「ツチノコ芸人」と称されたゆえんにも言及。「ツチノコ芸人と呼ばれ-とか、言われ、報道もされてますけど、あのネタ(話)は先があります。要は、テント兄さんは、そんな『架空の人物』やと。ドラえもんとかと同じで、架空のキャラクターなんです」と説明した。

 あやめ、ぜんじろうはそろって「せやから、ドラえもんと同じで、テント兄さんも、ずっと(キャラクターとして)生きてます」と話した。