ラジオのニッポン放送の松本秀夫アナウンサー(55)の著書「熱闘!介護実況 私とオフクロの7年間」(バジリコ)が好評を呼び、このほど重版された。

 同局「ショウアップナイター」で実況一筋31年の松本アナは、お調子者のキャラクターもあって球界関係者の人望が厚い。若手時代に取材したロッテが優勝した瞬間には、アナウンサーのおきてを破り、泣きじゃくりながら実況した一面もある人情派だ。メジャーリーグ取材も経験するなど精力的な活動の一方で、同書につづられた母親を介護した日々は、後悔ばかりが先に立つ赤裸々な内容になっている。

 松本アナの母喜美子さんは2013年3月に76歳で亡くなった。99年に胆石の手術を受けて以降、体調がすぐれず「死にたくなっちゃた」と口にしたこともあり、心療内科を受診。うつ病の治療を始めたが、転院先によっては認知症と診断され、医師によってはそうではないとも告げられた。入退院を繰り返したが、原因がはっきりせず、緊急性のない状況では長期入院は許されない。当時母は独身だったため、06年から松本アナが単身同居して介護するようになった。

 母を見送ってから3年後のこの春、旧知の仲の放送作家から介護生活を本にまとめてはと勧められた。

 「最初、ぱぱぱぱぱぱっと書いたら、OKだった。さらっとした内容だったんだけど、3、4日したら『すいません、この3倍の13万文字必要です』って。じゃあ、細かく書かないといけなくなったんです」。

 そこで、母が心を病んだ原因を考えた。大手企業から独立した父親は、浮気して家に帰らない上に、借金の取り立てに家族も追われた。苦しい生活なのに、自分も母のすねをかじった。

 「あれも、これも、おふくろを苦しめたんじゃないか。病気のもとをつくったんじゃないのかっていうのが、芋づる式に出てきた」

 同居当時、母から告白された。子どものころ、父のことで追いつめられた母から「お母さん、おかしくなっちゃった」と強く肩をつかまれたことがある。

 「それが僕のトラウマになって残っていたんだけど、同居してぼろぼろになっているおふくろから『あの時は悪かったね』と初めて言われた。僕に対しておやじのことで当たったことは、ふたをしてきてたんでしょうね。だから、僕もおふくろに嫌な思いをさせたことを謝った。同じ屋根の下に2人でいたからこそ、ふたをしていたことを、心から話せるようになった」

 ただし「自分の介護はナイスゲームじゃない」と言う。母の闘病生活は、自分の仕事が充実しはじめた時期と重なる。実況や番組で求められる、明るい振る舞いとのギャップは大きい。

 「『どうして、オレがこんな目に』ってのはいっぱいありました。本には書かなかったけど、会社の担当医師に相談して、僕も抗うつ剤を飲んだ時期もありました」

 同居中は母の朝食を作り、ヘルパーさんと交代して午後から出勤、同8時すぎに生放送を終えて真っすぐ帰宅する。夕方から1人になる母は放送中でも何度も携帯電話を鳴らすため、長めのCM中にかけ直した。苦労が続いても、状況は好転しなかった。日に日に失禁する回数が増えた。物を投げつけるなど、同じことを繰り返すと、軽くながらも、手を出してしまった。翌日は実況中継の担当のため熟睡したい夜、何度も「眠れない」と起こされた。思わず強くたたいた。母の体に残った青あざを心配したケアマネジャーのアドバイスもあり、デイサービスの回数を増やし、同居7年目の冬に特別養護老人ホームに入所させた。「人気アナウンサーの立場上、そこまで書かなくてもよかったのでは」と問うと、きっぱり言った。

 「おふくろに向き合ってる気持ちなんです。そこを隠したり、きれいにしたら、反省することにならない。おふくろに申し訳ないってね」

 14年に及ぶ闘病生活で、いくつもの病院や施設に入り、20人以上の医師の診断を受けた。

 「おふくろはどこに行っても薬漬けでした多いときは10種類ぐらい。抗うつ剤を飲むと震えがくる。それを止める薬を飲む。どんどんどんどんいろんな症状が出てきて、どれに対してもどんどんどんどん薬が増える。病院によっては症状を言うだけで、薬が増えるところもあった。でもその時は信じるんだけど、次の病院に行くと、こんな薬を飲んでたんですか? って驚かれる。どれが正解なの? ってのがありました。本の中で1つだけ実名で書いたのが最後の病院です。そこは入院前に院長先生の面接が40分ぐらいあって、スタッフの方も心から向き合ってくれた。心の病気ってエックス線には映らないけど、心の鏡に映って見えてくれるところがあるはず。心と心が向き合える病院に最後に出会えた。よくしてくれる病院で死ねたのは、よかったのかなあ」

 この夏、同居した母のマンションを売却した。壁に残った傷やじゅうたんの染みを自分で掃除してから手放した。「もう1度、母親と同居するとしたら」と問うと、ここでも正直に打ち明けた。

 「自分の家庭がうまくいってない時期だったんです。家庭の問題を抱えて、人の面倒を見るのは難しかった。僕は現実から逃げるために、おふくろを介護したという部分もあるんです。もし、もう1度戻れるなら、自分が安定した状態で迎え入れてあげたい」

 同書は1回表から9回裏まで、実況中継のようにまとめた部分を交えた構成になっている。

 「暗く、しんみりした話が多いから、実況ならリズムがあって明るくなるし、実況しかできないもんで(笑い)」

 母にささげる名調子を書き上げた松本アナは、22日の日本シリーズ第1戦を実況中継する。