16日に脳出血のため大阪市内の病院で亡くなった「大阪名物パチパチパンチ」などのギャグで知られた吉本新喜劇の島木譲二(しまき・じょうじ)さん(本名・浜伸二=はま・しんじ、享年72)の通夜が17日、大阪市淀川区の新大阪典礼会館で行われた。

 空手家でタレントの角田信朗(55)が参列し、島木さんが正道会館が主催した1985年(昭60)の「全日本空手道選手権大会」に出場した秘話を明かした。

 「番組の企画で出場された。1回戦は“パチパチパンチ”で勝ち上がり、2回戦の相手がボクだった」。島木さんからは「明日から時代劇のロケがあるので顔だけは蹴らないでください」と頼まれ、ダメージのないようにローキックを繰り出した。「元ボクサーの血が騒いだのでしょう。かなり我慢されていた」。リングではすぐには倒れなかったという。

 最後に会ったのは「2、3年前の井岡一翔くんの世界戦だったかな。リングサイドで車椅子で観戦されていた。そんなにやつれた感じはしなかった。重病を患っているようには見えなかった…」と振り返った。

 最後に角田は「リングでも輝いて、舞台でも輝いた。両方で輝いた幸せな人生だった。さんずの川でもパチパチをしていらっしゃるのではないでしょうか」と話した。