100歳まで現役監督を貫き、12年5月に亡くなった新藤兼人監督を支え続けた、孫の新藤風監督(40)の新作映画「島々清しゃ」(しまじまかいしゃ)が公開された。05年「転がれ! たま子」以来となる新作映画には、舞台となった沖縄が抱える問題、自身の一家を投影した家族の姿を織り込んだ。【取材・構成=村上幸将】

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 映画の序盤に、沖縄が抱える問題を描いた部分がある。聴力が敏感な主人公うみ(伊東蒼)が、戦闘機が海に墜落した音を察知し、それが新聞記事になる、という一連の場面だ。映画を見た沖縄県民は、どういう反応を示したのだろうか。

 どういう映画かと思う感じのスタートになっていますからね。でも沖縄の方には、すごく温かく見ていただいたんです。すごく不安だったんですけど「ありがとう」と、泣きながら握手してくださる方がいて。「ありがとう」と言ってくれて、ありがとうという感じ。やっぱり、いろいろなものを感じているからこそ受け取ってくださるものが大きかったのかなと。

 タイトルにもなった歌「島々清しゃ」の中で歌われる、沖縄の自然に感謝し、ふるさとを思いながら日々を営む人々の姿を軸に沖縄の悲しみにも向き合った。

 何でもない日常の幸せが、「島々清しゃ」という歌の軸でもあるので、そこは大事にしたいと思って。ただ…どこか沖縄に対しての責任みたいなものも考えて、闇の部分だったり悲しみなどと、どう向き合い(映画に)どう入れていくのかは脚本を直す段階ですごく考えました。音楽の取り上げ方にしても、沖縄民謡は沖縄の人の魂ですから。どう向き合うかを考えた時に、子どもが主人公で、何でもない日常を描く映画の中で、政治的なものは前面に出すべきじゃないと思ったんですね。沖縄の人がいろいろと考え、感じ、いろいろな主義、主張があったり、悲しみを抱えていたりするけれど、それでも日常は営んでいるという部分にこそ目を向けたいと。

 ◆祖父のDNAが感じられる映画

 1月21日に「島々清しゃ」の初日舞台あいさつが行われた東京・テアトル新宿は、11年8月6日の「原爆の日」に祖父兼人監督の遺作となった「一枚のハガキ」の初日舞台あいさつが行われた劇場だった。祖父は舞台あいさつの壇上から「なぜ戦争みたいなバカバカしいことをやるんだ」と反戦を訴えた。沖縄の問題と向き合った「島々清しゃ」からは祖父のDNAが感じられる一方、戦闘機の墜落以外に沖縄の闇の部分を描いた2場面も、歌を絡めることで反戦などに特化した描き方はしていない。

 うみの祖父の昌栄おじい(金城実)が、居酒屋で(琉球民謡の)屋嘉節を歌う場面があります。屋嘉節は生まれ島が戦争で失われた悲しみ、嘆きを歌っている歌で、日本にとっては戦後だけど沖縄にとっては戦後ではない時代に捕虜収容所から生まれた歌で、島を体現するおじいに歌ってもらった。あとは、おじいが浜で、東京から来たバイオリニストの北川祐子(安藤サクラ)に「うれしい時も悲しい時も戦の時も歌ってきたさ」とサラッと独白するところでしか(沖縄の抱える悲しみ、闇の部分は)出していないんです。沖縄人々が(悲しみや闇を)抱えながらも日々営んでいることを描きたかった。「島に帰りたくなった」「親に連絡しようかなと思った」「沖縄ってきれいだったんですね」などと自分の住んでいる場所がいいと感じられて良かったと受け取ってくださった方が多かった。

 ◆自身、父、祖父を投影した家族

 主人公のうみ、昌栄おじい、母のさんご(山田真歩)の家族3代の関係性は、自身と祖父の兼人監督、祖父が立ち上げた独立プロダクション・近代映画協会の社長、プロデューサーとして金策などに奔走した、兼人監督の次男で自身の父・次郎氏を投影している。

 うみの親子3代は、お互い思いやっているけれども、もう少しはっきり言えばいいのに、立場の違いなのか、すれ違う。うちの家族を投影した部分はあります。さんごは、家族から逃げているとは言っても、那覇で1人で暮らしながら頑張って、本当に立派な人だと思うんですよね。さんごを、もうちょっと立たせたいと思ったのは…父が、よく頑張っていたなぁと。父がお金(映画の製作資金)のことも引き受けて頑張ったから、祖父は最後まで仕事が出来た。孫とおじいちゃんは楽しく2人で(映画作りを)やっているけれど、祖父と娘のために、よく働いているのに仲間外れみたいな感じで、割に合わない…そんな父への思いみたいなものもありました。いろいろな当時の自分自身を投影しているんですけど、「島々清しゃ」という歌があったから、こういうまとまりになったのかなと思いますね。(終盤に)さんごが(琉球民謡の)かじゃでぃ風を、昌栄おじいのお墓の前で歌い、踊るシーンがあります。それって、どうなんだろうというのもあったんですけど、このシーンは肝だった。脚本を読もう、この映画をやろうと思ったきっかけのシーンでもあったので絶対に変えたくないと思いました。

 エンディングは、「一枚のハガキ」同様、非常に静かで温かいものとなった。

 ラストシーンは、祐子が島の力、音楽の力、子どもたちの力を受けて、吸収して、自分の本来いる場所に、船に乗って帰っていくというもの。ちょっとした希望で終わる映画が、どうしても好きなんですよね。東日本大震災があったせいばかりではなく、何でもない日常の大切さを、感じている人はいっぱいいらっしゃると思うんですけど。私自身、やっぱり祖父と暮らして、最終的に息を引き取って存在がなくなった時に、ただ(存在が)あるだけでも幸せだって思うことがあったので。ただ太陽が昇って、息をしていれば、それで十分じゃないかと…亡くなる前後に感じたことです。

 次回は新藤監督が、祖父兼人監督との日々と自身の今後を語る。

 ◆新藤風(しんどう・かぜ)1976年(昭51)11月20日、神奈川県生まれ。日本映画学校在学中の98年、20歳でテレビ東京のドキュメンタリー「人間劇場『おじいちゃん』」で演出デビュー。99年「ナビィの恋」(中江裕司監督)、00年「三文役者」(新藤兼人監督)の助監督をへて、00年にフジテレビ「つんくタウン」のオーディションに合格し、「LOVE/JUICE」で監督デビュー。同作で第51回ベルリン国際映画祭フォーラム部門新人作品賞など受賞。05年「転がれ!たま子」で監督を務めて以後は、祖父兼人監督とともに暮らし、08年「石内尋常高等小学校 花は散れども」の監督健康管理、遺作となった11年「一枚のハガキ」の監督補佐として、12年5月29日に100歳で亡くなるまで支えた。