16日に心不全のため84歳で死去した作曲家船村徹(本名・福田博郎=ふくだ・ひろお)さんの通夜が22日、東京・護国寺桂昌殿で営まれた。会場には音楽関係者ら1500人が参列し、故人をしのんだ。以下が主な参列者のコメント。

 細川たかし こんなに早いとは残念ですけど、細川たかしとしては「矢切の渡し」をいただいて、多くの方に聴いていただいて、レコード大賞を取った。船村先生から大変な素晴らしい名曲をいただいて世に出せたということで、42年間歌ってきまして、感謝しかないですね。本当にありがとうございますと、その言葉しかないです。先生はお酒が好きな方でした。奥さんも明るくて(今年1月の)パーティーの時も本当に元気だなと。私は門下ではありませんが「矢切の渡し」という曲で知り合って、そのあと何曲かいただいて歌っているんですが、偉大な先生を亡くして残念です。

 舟木一夫 去年の春ごろからだいぶ体の調子が悪そうでしたが、入院して元気にリハビリなさっていたので、元気になられるだろうと信じていたら、突然という印象ですね。とにかくやんちゃ坊主の典型のような方で、19歳の時に初めてお目にかかって、ひと言で言えば大好きな方でした。ああいう時代にしか出てこないような暴れん坊というような性格でありましてね。年の差を超えて、男の子同士で付き合ってくれている感じがありましたね。あんまりあれこれ言わない方でした。これから先、先生の歌を歌っていくことが最大の供養になると思いますね。

 堀内孝雄 急な知らせなのでびっくりしました。亡くなられる1日前まですごく元気だとお聞きしたので、キツネにつままれたような。昭和を代表する作曲家の先生なんですけど、あれだけのメロディーラインを作れる人はもう出てこないと思う。ポップスとかジャズとかジャンルはたくさんあるけど、それを超えられた方なので。自分も曲をつくる端くれとしてそういう風になれたらなと思いますけどね。僕には先生の曲が頭の中に残像のように残っていますから。財産ですよね。素晴らしい方とお会いできたなと思います。

 瀬川瑛子 今日まで歌い続けてこれたのも(デビューして)20年近く経った頃、これで終わりだなって時に、先生が「『矢切の渡し』を女性では瀬川瑛子で」ってことで、レコード会社にくださって。そのおかげで50周年を迎えられて、先生がレコード会社の方に「頑張るように応援してあげなさい」って言ってくださったことが…(涙ぐむ)。(船村さんからの思い出に残っている言葉は)「いつもいつも頑張っていれば報われるときも来るから。だけど、型にはまった歌を歌うな。君は体も大きいし、スケール感のある歌を歌うんだよ」と言われました。とっくに歌い手をやめていた私が、先生のいろんなアドバイスで歌わせていただけたことを感謝します。安らかにお眠り下さい。

 大月みやこ 後輩のみんなが絶対にすてきな日本の歌謡曲をつないでいくという決心をお祈りしてきました。奥様にも、歌い続けていくことが先生も喜んでくれるからということで、握手をしてきました。私たち後輩が、船村ワールドをますますみなさまに感じていただけるような歌を届けていきます。