笑福亭仁鶴(80)の弟子で、16日に脳出血のため59歳で亡くなった笑福亭仁勇(しょうふくてい・にゆう=本名・山沢健二)さんの通夜が18日、大阪市淀川区野中北1丁目1の77「新大阪典礼会館」で行われ、兄弟子の笑福亭仁智(65)は、師匠の仁鶴が憔悴(しょうすい)しきっていることを明かした。

 仁智によると、仁勇さんは16日午後2時3分、大阪市内の病院で亡くなった。師匠の仁鶴は今年6月に夫人を亡くし、ショックが癒えていないため、タイミングをみはからい、17日午後、府内の師匠宅を訪ね、弟弟子の急死を告げたという。

 「師匠はたいへんショックを受けられ、絶句と言いますか。『ええ、なんでや…』と口にしたまま、もう言葉がまったく出てこない状態で。相当につらいと思います」

 仁智らも、その後、かける言葉もなかったという。通夜の会場には仁鶴からの花はあったものの、姿はなかった。

 一門そろって「信じられない」と語るほどの衝撃だった。仁智によると、仁勇さんは今月11日午前に自宅で不調を覚え、自ら救急車を呼び、その物音で同居の長女が目覚め、救急車に同乗。途中、意識を失い、出血量が多く、医師から「手の施しようがない」と告げられ、人工呼吸器を装着。意識が回復することはないまま、16日午後2時3分に息を引き取った。

 仁勇さんは妻をすでに亡くしており、長女の彩野さんが付き添っていた。祭壇の写真、会場に飾られたハッピや羽織はかまなどは、長女が選んだという。

 仁智は弟弟子との早すぎる別れに「ほんまおもろい男で。師匠の奥さんが好きで、いつもプレゼントしてたけど、それが恐竜の卵とかね、変なのばっかり。で、怒られてばっかり」としのんだ。

 また、仁鶴一門には、万一、足袋を忘れても備えられるように、靴下は白色との決まりがあるのに「あいつは赤い靴下はいてた」などと、奔放で誰からも愛された人柄へ思いをはせ、無念の胸中をにじませた。

 この日、通夜には、上方落語協会の桂文枝会長(74)も訪れ、目に涙を浮かべながら「びっくりした…としか…。残念でならない」と言葉を振り絞った。

 同協会では毎年9月、大阪・生國魂神社で、ファン感謝祭「彦八まつり」を開催しているが、仁勇さんは、同まつりのアイデアマンとして活躍。文枝は「いろんな企画を出してくれて、将来の協会を支えてもらうつもりの1人でした。来年は神戸(にも定席)ができますし、いろんな企画を任せてやってもらうつもりだった」と話していた。

 告別式は19日午前10時30分から、同所で。喪主は長女の山沢彩野(やまさわ・あやの)さん。