「1週間のごぶさたでした」の名せりふで知られたベテラン司会者で「横浜にぎわい座」館長の玉置宏(たまおき・ひろし)さん(本名・宏行=ひろゆき)が11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で亡くなったことが12日、分かった。76歳だった。この日、近親者による密葬を済ませ、後日「お別れの会」を開く。玉置さんは4日夕方、脳幹出血のため倒れ、重体の状態が続いていた。

 12日午後4時すぎ、横浜市内の自宅に戻った長男雅史さん(38)によると、玉置さんは11日午前、容体が急変し、親族にみとられて息を引き取ったという。同日夜に通夜、この日午前に親族約30人で密葬を行い、荼毘(だび)に付した。密葬に芸能関係者の姿はなく、弔問も断っているという。「年相応にがたがきていたけれど、検診を受けるぐらいで、体調が悪いということはなかった。密葬はしめやかに行ったが、お別れの会はにぎやかにできれば」と話した。

 玉置さんは4日昼すぎに館長を務める大衆芸能専門館、横浜にぎわい座に出勤予定だったが、同日午前に玉置さんから「遅れて午後3時になる」と連絡が入り、夜に家族から「体調不良で休みます」と電話が入った。同日夕方に脳幹出血で倒れ、自宅近くの病院に救急車で搬送された。重体の状態が続いていた。

 8日に雅史さんがにぎわい座を通じて、入院は認めたが、病状は明かさなかった。にぎわい座には亡くなった直後に連絡が入ったが、公表は密葬後の12日午後にと要望されたという。

 玉置さんは08年、NHKのラジオ番組「ラジオ名人寄席」で著作権を持たない自分の古典落語のコレクションテープを放送したことが発覚。同番組は打ち切られた上に、著作権使用料計1300万円を全額負担した。さらに、テレビ東京系「昭和歌謡大全集」の司会も責任を取って降板した。そのころから心労のためか酒の量が増えて、体調も悪くなったという。

 明大卒業後の56年、文化放送の番組に出演。歌手の故三橋美智也さんの専属司会を経て、58年から19年間続いたテレビ番組「ロッテ歌のアルバム」や「象印スターものまね大合戦」の司会で活躍した。流麗な語り口と歌手の特徴をつかんだ紹介は「玉置節」と呼ばれ、歌謡番組司会の第一人者となり、冒頭の「1週間のごぶさたでした」のあいさつは流行語になった。

 美文調で秒数ぴったりの玉置節はムードを盛り上げ、歌手の歌いやすさを演出した。決して悪口、皮肉を言わず、ヨイショする名調子に「ゴマすり」と陰口もたたかれが、玉置さんは「商品である歌手を美しい包装紙で飾る。視聴者や観客は、買い物をされるお客さま。私は、言ってみればセールスマンでもあり、商品を傷つけるのはセールスマン失格です」と話していた。名調子のために毎回、本番前には歌手の控室に行きあいさつ。その時の顔色や声質を台本に書き込んだ。この台本を歌手は記念に奪い合ったという。

 日本司会芸能協会会長などを歴任し、02年に横浜にぎわい座館長に就任。横浜ベイスターズのファンとしても知られ、98年に38年ぶりにリーグ優勝した時にはテレビ朝日系「ニュースステーション」の冒頭に出演し「38年ぶりのごぶさたでした」とあいさつした。

 [2010年2月13日9時19分

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